瀬戸貴幸の国外移籍でルーマニアの話題は、後にも先にもこれっきりの予感もしなくもないが恒例のビール飲みながら現地でビールを飲んだ記憶を呼び覚ます第三十四の巻。

祝・瀬戸貴幸ルーマニア脱出

 画像のビールはルーマニア滞在時毎日飲んでいたティミショレアナ。ビール工場がルーマニア北西部の都市に建設されたのは1718年。
 しかしこのティミショアラの地名が世界に衝撃を与えるのは1989年。ティミショアラ市民の暴動を軍隊が鎮圧。犠牲者が流血革命の引金となり独裁者チャウチェスクは処刑。武力による民主化も既に四半世紀前の昔話。

 2009-10シーズンのUEFAヨーロッパリーグに出場した際、アヤックス、アンデルレヒト、ディナモ・ザグレブが同組に。ザグレブとティミショアラの一戦は暴動が勃発し勝ち点剥奪の裁定も納得する。クロアチアとルーマニアのサポーターに近づいて良いのは30メートルまでと自主規制要。

 昨季のヨーロッパリーグのグループステージでも久しぶりに両国が対戦。11月28日ルーマニアのアストラ・ジュルジュは1-0でディナモを破った。クラブ創立以来UEFA主催本大会初勝利の快挙。しかし既にGS敗退が決まっており8500人キャパシティのスタディオヌル・マリン・アナスタソヴィチに閑古鳥が鳴く声が東京まで聞こえたのは、トルコに向けて出国する二週間前。

 2015-16シーズン、ウェストハムがEL三回戦でアストラに2試合計4-3で敗退。第十四の巻バーゼルまでの道のりは余りにも早い段階で階段を踏み外し転げたがこれもまたフットボールの醍醐味。

 そしてアストラの背番号8瀬戸貴幸は13日トルコのオスマンル・シュポルへの電撃移籍が発表された。近年欧州でプレーする日本人も増え移籍の話題が誌面やネットに躍る中、最も移籍を心待ちにしていたプレーヤーこそ他ならぬ瀬戸貴幸。

 8月16日カイセリシュポルとの開幕戦に登録が間にあった。試合は0-0の膠着状態。68分ベンチオスマンルに動き有り。前線の一角に代えて背番号48の東洋人をピッチに送り込む。試合は終了間際に両チームがゴールを決めて1-1のドロー。

 24日イスタンブールのテレコムアリーナ。ポドルスキが加入したガラタサライ。スナイデルもスタメン。1-2とオスマンルのリードの状況で79分瀬戸に途中出場。同国を代表する強豪からの大金星。長らく過ごしたルーマニアに比べ、上位陣が間違いなくワンランク上のシュペル・リグは申し分のない環境だ。

 ルーマニアとトルコは近いといえば近いし、遠いといえば遠い。「なんじゃそりゃ」と自分でも思う文章になったが、ルーマニアに初めて入国したのはパスポートの刻印によると2008年の11月23日。イスタンブールからブカレスト行きの列車の乗り、ブルガリアを抜けている。23日ブカレストのネットカフェに立ち寄り、前日の試合結果を検索する。FCブラショフがディナモ・ブカレストに2-0で快勝しているではないか。

 無修正のエロ動画をやたら熱心に鑑賞する隣の席の男性が画面を指さし満面の笑みで薦めてくるのが何とも迷惑。旅行者のカップルが外から除き立ち去ったのは賢明である。カフェ内は犯罪臭(?)に被われ空気は暗く澱んでいる。

 ブカレストで一泊して24日北駅からブラショフ行きのチケットを買った。140キロの距離に3時間もかかる。

トランシルヴァニアの美しい都

 ブラショフは人口30万人第二の都市。試合がなくともスタジアムには足を運んでみた。トゥンパ山の緑を背景にチームカラーの黄色が栄える。東京武蔵野市とも友好関係にあり街の人々も親切で好意的。短い滞在ではあったがブカレストで擦り込まれたルーマニアの悪いイメージを払拭してくれた。

 2009年8月8日 ルーマニア リーグ1第2節。ブラショフのピッチに日本人選手が登場したらしい。ネットでこの情報は見つけて少々驚く。選手本人が自身のブログで紹介しているためガセではない。退場者を出した昇格クラブのアストラだがアウェーでスコアレスドローに持ち込んでいるので貴重な1ポイント獲得は勝ちに等しい。

 早速経歴を調べるとテスト入団。しかし彼が在籍後三部から二部そして一部へとアストラは一気に駆け上がる。「コイツ凄えな」・・・つぶやかずにはいられない。何が凄いかというと欧州を旅していれば四部五部のセミプロやアマチュアリーグに在籍する日本人選手の噂が自然と耳に入ってくる。知人を通して二部は無理でも三部相当のクラブチームなら・・とコネを求められる機会も多い。欧州に挑戦する志と勇気には感服するが、現実は兎に角甘くない。

 瀬戸がプロイェシュティでのプレーを選択した2007年、ルーマニアは、欧州連合(EU)の一員に。再審査の結果しぶしぶ理事会から承認がおり、今後も改革を継続する条件付きでの加盟。新入りは一言で言えばEUきっての貧困国でお荷物と目されていたのだ。プロイェシュティなどブカレスト近郊の都市は1977年のルーマニア大地震で歴史的建造物が崩壊した。95年の阪神淡路大震災時、ルーマニア地震に匹敵する規模と見聞きした記憶がある。
 
 ちなみにルーマニア大地震が3月11日の一週間前3月4日に起きたのは単なる偶然なのか。