カルドソとペペ・レイナのPKに纏わる後日談にスポットを当てたが、2010年のエイプリルフール、リスボンでの試合が深く脳裏に刻まれもうひとつのエピソードを紹介する。ベニテスとアイマールの師弟にもう二人“登場人物”が絡むストーリー。

 UEFAチャンピオンズリーグ参戦中のマッカビ・テルアビブ。イスラエルの強豪に三冠を置き土産に一人のスペイン人が次なる仕事場であるメキシコへと旅立った。彼の名はパコ・アジェスタラン 52歳。イスラエルとパレスチナ情勢不安治安悪化を理由に前監督退任後、あえて“戦地”に赴いたのが一年前。2001-02シーズンから、ヴァレンシア3年リヴァプール3年、計六年苦楽を共にしたラファエル・ベニテスの片腕はアイマールにとってもう一人の師と言える存在。

 アシスタントコーチといっても仕事の内容は様々。バルセロナ時代のモウリーニョのように「語学」に長け通訳のような存在もいれば、トレーニングメニューからすべてを任される場合も。パコはコンディショニングのスペシャリストだった。ベニテスとパコがリヴァプールへと去りキケ・フローレンスの就任以降輝きを失ったアルゼンチンの天才は度重なる負傷に苦しみサラゴサで忘失されようとしていた。

 2008-09年運命の歯車が大きく動き出す。ヴァレンシアを退団したキケはベンフィカ・リスボンの監督に就任。そこにリヴァプールからパコが、そしてサラゴザからアイマールが加入する不思議な巡り合わせ。アイマール復活の立役者がフィジカルコーチのパコであることは言わずもがな。欧州各国のメディアが華麗なプレーを取り上げ、日本の雑誌でもベンフィカのユニフォームを着たアイマールの姿が表紙に。責務を果たしたパコはエメリ監督からの熱烈なオファーに応え翌2009-10シーズンから古巣ヴァレンシアのフィジカルコーチに復帰した。

 一方キケ・フローレンスは二年契約を解除。ベンフィカは後任にクライフサッカー信者のポルトガル人ジェズスを指名。攻撃的なフットボールに拍車がかかる。
 母国に戻ったキケは09-10シーズン途中からアトレティコ・マドリーの指揮を執ることになり、三人のスペイン人指導者と一人のアルゼンチン人プレーヤーは袂を分かち異なるクラブで別々の道を歩んでいたのだが・・・

 名称が変更され初代ヨーロッパリーグ覇者の栄冠をつかんだのはアトレティコ・マドリー。反対側の山を登りきったのはリヴァプールよりも格下のフラム。事実上の決勝戦は準決勝で実現した元ヴァレンシア監督対決だった。故郷のクラブに敗れたベニテスもこのシーズンでマージーサイドに別れを告げる。

 ベニテスVSアイマールの裏でキケ率いるアトレティコとパコのヴァレンシアが同じくベスト4を賭け対戦した2010年のエイプリルフール。
サッカルチャーに掲載した四日後、アイマールは現役を退く決意を表明した。運命的な出会いと別れが繰り返され今日も欧州のフットボールシーンでは新たな人間ドラマが描かれようとしている。

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リスボンで盗み見たシナリオ

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欧州蹴球文化探訪 第五の巻