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ぷら~り 欧州蹴球場百景【80】スタディオン・ハルヘンヴァールト / ユトレヒト

2018年12月23日。エールディビジはこの日17節を終了すればウィンターブレークに入る。チケットはソールドアウト、発表されたハルヘンヴァールトの公式入場者数は23,266人。


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ウルビー·エマヌエルソンにとって2009年12月6日以来9年振りとなるスタディオン・ハルヘンヴァールトでのユトレヒトーアヤックス戦。試合前に笑顔で抱擁を交わしたラッセ·シェーネは1986年生まれの同い年。


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ヘーレンフェーンの下部組織出身のデンマーク人はオランダに移り住んで16年。デ・フラーフスハップでのエールディビジ·デビューは、2007年8月19日開幕戦。昇格クラブ相手に1-8と容赦なく洗礼を浴びせたアヤックスの左サイドバックがエマヌエルソンだった。

下の記事は、2008年、現在はヨハン·クライフの名を冠するアムステルダムアレナ。FCユトレヒト戦に先駆け、UEFAカップハンブルガー戦で公式戦150試合出場を祝して、エマヌエルソンに銀皿が贈られた。彼のデビュー戦も2005年のUEFAカップのオセール戦だった。

しかしこの試合、前節AZルクマールに敗れているアヤックスはホームで負けに等しいドロー。(スコア1-1)

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中山雄太がズヴォレに移籍し、板倉滉がマンチェスター・シティからフローニンヘンに貸し出される。ファン・ウェルメスケルケン・際は、昨季ドルトレヒトから同じく2部のSCカンブール に移籍。2018-19シーズンはカップ戦も含め全試合出場。リーグ戦19試合はフル出場を果たしている。堂安と小林の移籍の可能性は否めないが、現在オランダの邦人は人5人に。

かつてVVVに吉田麻也とカレン・ロバート、フィテッセの安田理大、フェイエノールトにレンタルされた宮市亮、そしてFCユトレヒトに高木善朗(現アルビレックス新潟)が加入して以来の日本人ブーム到来だ。

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EU外のプロサッカー選手がオランダでプレーする場合、年棒を日本円で40万ユーロ以上支払う制度から日本人が免除されたのは、結局2014年から2016年までの2シーズン。オランダ移籍の件数は思いのほか伸びなかった。そして2017年から旧制度が復活。但し20歳未満は規定外とされている。

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ユトレヒトを初めて訪問したのは2008年。見本市会場((jaarbeurs)で9月前半にアートフェア開催のポスターが記憶を呼び覚ます。中央駅から東側の旧市街、中心を旧運河(Oudegracht)が流れる。

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中央博物館やこの街の代名詞、ディック·ブルーナハウス。2017年に他界したが、当時はカフェで普通にお茶をする姿を見かけることができた。

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2010年にはランゲ·ニーウ通り沿いのフラットランド·ギャラリーで ルート·ファン・エンペルの作品を鑑賞した。フラットランドはアムステルダムの本店の他、ユトレヒトとパリに軒先を構える。2009年にはニューヨーク、東京、デュッセルドルフ、パリで個展を開催しており写真は来日時ギャラリー・テラ・トーキョーで撮影した。

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第80景はFCユトレヒトのホーム、スタディオン・ハルヘンヴァールト。
このオランダ第四の都市のクラブに声援を贈るサポーター達、約30キロほど北に位置する首都のクラブへの対抗心が殊の外激しい。
10年前は片道7.1ユーロだったが、今は値上がりしているはず。

高木善朗が在籍した2011年当時の監督はヤン・ボウタース。
88年のユーロ優勝に貢献、前年にはクライフ指揮するアヤックスでUEFAカップウィナーズを掲げてた印象が強い。しかしユトレヒトに生まれ、FCユトレヒトからアヤックスへと移籍したのは1986年。


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2014年からはロブ·アルフレンが監督に。胸にNISSANのロゴが入ったユニフォームを脱いだのは1991年。アルフレンもアヤックスに引き抜かれた。彼もユトレヒト出身。

アルフレンが迷走させたチームを立て直したのはテン·ハーフ。
2015年夏に就任するなり卓越した手腕を発揮、最初のシーズンは前年の二桁から5位にまで引き上げたリヌス・ミケルス・アワードを受賞。


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2016―17年のシーズンは4位でヨーロッパリーグ予選に出場権を獲得する。伝統的な4-3-3に固執せず中盤をダイヤモンドの4-4-2、5-3-2フレキシブルな陣形を駆使するが、トレーニングから他のエールディビジクラブと違うのは当然。2013年から2年間バイエルンのリザーブチームで指導していた彼のやり方は、当時トップチームを率いたグアルディオラからの影響が色濃い。

ユトレヒトでの三シーズン目2017年12月ユトレヒトサポーターを激怒させたのは契約を突如解除。マルセル・カイザー、側近のへニー・スパイケルマンと、デニス・ベルカンプの首を切って迎え入れたのは怨敵アヤックスだった。

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ビール王決定戦のオランダ代表が「ハイネケン」では捻りが無さすぎ。日本で販売されているハイネケンはライセンス契約により取手工場で製造されている。上の戦闘機はローマで撮影した。世界のハイネケンであってオランダらしさに乏しい。

次いでメジャーなアムステルもハイネケン傘下。国内はもちろんロンドン、パリではやたら見掛ける。写真背景はロンドンの五輪スタジアム【31景】。

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ここは同国を代表するクラフトビールのデ・モーレン醸造所を推す。日本、ブラジル、ノルウェー、スペイン、インド、カナダ、アメリカ、デンマーク、ポーランド、ベルギーに出荷されている。のインディアペールエールの栓を抜いてみた。「ブアー&ブラム」は、いたってシンプルなラベル。柑橘系の香りを堪能できるがIPAらしくホップが効いて苦みもある。アルコール度数は6.2% 

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IPAは一般的に12~14度を飲みごろとされるが…正直ぬるくて不味い。ピルスナーは7度以下で飲むのが通常だが、このIPAは最適な温度を7度とオランダ語で表記しているのでお薦め。久留実さんも5度~6度ぐらいに冷えた瓶を一息。グラスに注がなくても充分美味い。


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デ・モーレン醸造所が何処にあるのかといえばボーデグラヴェン。アムステルダム、ハーグ、ロッテルダムそしてユトレヒトに囲まれた中央に位置する。一番近いユトレヒトはインターシティで20分の距離。

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英伊で不遇を託ったエマヌエルソン。2016-17シーズンは足首靭帯断裂と診断され、チャンピオンシップ出場は一試合のみ。傷心の帰国、再起を賭けたユトレヒトでテン·ハーフに出逢う。前述の通り、フレキシブルにフォーメーションを変える指揮官のもと、中盤の中央、左MF、左サイドバックと与えられたタスクを熟したベテランは、絶大な信頼を得て完全復活を果たす。


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2018年12月23日。17年間在籍したアヤックス、そして敵将となった恩師との再会。緑色のフィールドではいつもささやかなスパイスが、ゲームの旨味を引き立たせる。【八十景了】

文/撮影:横澤悦孝 モデル:久留実《Culumi》

By | 2019-01-27T18:15:23+00:00 1月 23rd, 2019|Categories: Soccerlture League, コラム, ひゃくぷら|0 Comments

About the Author:

横澤 悦孝
1964年生 / 東京都在住 NPO・NGOの経験を活かしてサッカルチャー・チャアマンをしてます。 本業は国際交流コンサルタント。文化催事の企画運営や講演など欧州と国内をころげまわってます。 サッカルチャーコラム連載では欧州蹴球文化探訪(全41回) 同ベルギーの光と闇(全27回)※最終話そのうちUPします。 長靴の国で観た異邦人たち(全21話) サッカルチャー・ホームタウン秘書室(2017年~ 同 日本人が知らないアーセナル 全8回含)他。 サッカルチャーやっててよかったのはバルセロナで故ヨハン・クライフに逢えたこと。世界各国の”秘書たち”とビールを飲むのもささやかな楽しみ。

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