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21 03, 2018

ぷら~り 欧州蹴球場百景【23】パルケンスタディオン/コペンハーゲン

By | 2018-06-06T16:30:43+00:00 3月 21st, 2018|Categories: Soccerlture League, コラム, 未分類|0 Comments

コペンハーゲン北部郊外のデュアハウスバッケンは1746年に誕生した世界最古の遊園地。 アンデルセンにも愛されたチボリ公園が造営されたのは1843年。公園付属の遊戯施設よりもこちらが最古と主張する輩も。いずれにしても世界最古がコパンハーゲンにあることに変わりはない。中央駅の東側、目の前がチボリ公園。他には何もないので列車発の時刻まで、時間をつぶせるのは西側のパブ、「Jernbanecafeen」7の文字が微かに判るグラス。後ろに並んだ瓶のラベルにも同様のオリジナルデザイン。右端は看板娘のHeleneさん。 ◆◆◆◆◆◆ スカンジナビア航空機が並ぶコペンハーゲン空港。入国しデンマーククローネをATMで引き出し、駅に停車中の列車に飛び乗る。発車して席に着く間もなくオーレンスリンクから海原を眺め・・・「あ、またやった」。 世界各国の国際ハブ空港の駅は大半が市内から乗車して終点にある。ところがデンマークの首都コペンハーゲンは、シェラン島の最南東部に位置し、空港が更に東なので、オーレンス海峡が目と鼻の先。海峡を越えてしまえばスウェーデン第三の都市マルメがある為、空港からはコペンハーゲン市内に向かう旅客とマルメへと向かう旅客の数、列車の込み具合がさほど変わらない。そのため行き先とホームを間違えると「国境」を越えてしまう。車掌に事情を説明し、20分程度スウェーデンに滞在した後、コペン市内へと引き返す羽目になる. ◆◆◆◆◆◆ ようやく中央駅にたどり着く。自転車用車両がいかにもデンマークらしい。英語のFreeはデンマーク語でFri。列車に限らずネット環境は良好で助かる。 ◆◆◆◆◆◆ 第二十三景はコペンハーゲンにあるテリア・パルケン。 FCコペンハーゲンは1992年創立のクラブ。これまでUEFAチャンピオンズリーグの本戦(GS)出場したクラブの中で最も若い。しかしその源流を遡るとは1876年創立されたボルドクラブに行き着く。当時からの伝統を引き継ぐ名門。 国際サッカー連盟(FIFA)は、世界最古のクラブチームとして「シェフィールドFC」を認めているが、1863年FAが発足し世界最古のトーナメントFAカップ開幕は1871年。ドイツ各都市の総合スポーツクラブにフットボール部門が普及するのは1880年代。トリノやジェノアにイタリア初のクラブが1890年代、地理的には、英国から最短のオランダでさえ、ハーレム創立は1879年だから欧州の中でも、屈指の早さ。 1903年創設のボルドクルッベンと合併したのが1992年7月1日である。この年欧州選手権でユーゴスラビア紛争を理由に繰り上げ参加したデンマーク代表が奇跡の優勝を遂げた。デニッシュ・ダイナマイトはイングランド、フランスを抑えてベスト4進出。強豪英仏との対戦はいずれも限りなくホームに近い前述のマルメだった。 ◆◆◆◆◆◆ 広大なフェレド公園にスタジアムは隣接している。英語のパークは、ドイツ語やオランダ語と同じく北欧でも「パルケン」と発音される。少年から大人までボールを蹴る姿を、訪問の度、目にする。 アクセスはバスを利用すればスタジアムの目の前に止まるが、中央駅から約1キロ強国立美術館に(写真上下)。一仕事終えて、橋を渡り公園を突き抜ける徒歩ルート。直線距離ならば1.5キロ程度か。 ◆◆◆◆◆◆ 1990年着工、1992年に竣工したパルケンスタジアム。 旧国立競技場の敷地内に投資会社Baltica Finansによって再建後1998年にFCコペンハーゲンに売却されている。開閉式の屋根を装備しているが、収容人員は38000人。

16 03, 2018

ぷら~り 欧州蹴球場百景【22】ヴォーダフォン・アリーナ /  イスタンブール

By | 2018-10-20T02:01:55+00:00 3月 16th, 2018|Categories: Soccerlture League, コラム, 未分類|0 Comments

激しい潮流に阻まれた両大陸を互いに超えて、繰り返された衝突がいつしか独自の景観と文化を築いたイスタンブール。欧州とアジアの境界線と称されるボスポラス海峡に大きな二本の橋が架かり、地下にもトンネルが開通している。 新市街の北東郊外ベシクタシュ地区。海峡沿いの埋め立て地に造営されたドルマバフチェ宮殿も、欧風の外観から一歩中に足を踏み入れると、イスラムの世界に包まれ、現在は迎賓館と博物館に活用されていた。 ◆◆◆◆◆◆ 成美さんが開いている昨年の地元紙「SABAH」には週末ベシクタシュとフェネルバフチェのダービーに関する記事。本拠地は黒鷲の巣窟と敵サポーターが恐れたイニョニュ・スタジアム。 しかしスタンド最上段から眺める宮殿と海峡の風景は、欧州・・・いや世界でも屈指の美しさ。 このスタジアムからの景観も含め、稲本潤一やさおりん、長友祐都までが移籍したガラタサライ、ジーコが指揮したフェネルバフチェよりもベシュクタシュに肩入れしている。 ◆◆◆◆◆◆ 2013年に取り壊されたイニョニュは変わり新たな歴史を刻むヴォ―ダフォン・アリーナが第二十二景。但し完成した2016年の12月には試合終了後にスタジアムの外で自動車爆弾が爆発。ほぼ同時にマチカ公園で男が自爆するあたり、この国らしくキナ臭さが充満しつつある。 ◆◆◆◆◆◆ この十年間を振り返ると一年だけ渡欧していない年がある。2011年・・・3月に宮城県で撮影したのがこの写真。11日当日は小学校まで息子を迎えに行き、嫁(当時)の実家に預けて浦安から千葉市駅前まで、今度は元嫁を迎えに車を運転した。 約5時間かけて到着。帰りは疲れて途中ファミレスで休憩し朝方生還。「こんだけ時間かければ成田から欧州の何処でも着くね」と苦笑した。同年10月トルコ東部でも大地震が起きているが、イスタンブールが大きな被害を受けたのは1999年のイズミット地震。海土の地面に建物を築いた都市の脆さと危うさを露呈した。 ◆◆◆◆◆◆ イニョニュ時代から、黒白縦縞のウェアでピッチを駆け抜けたポルトガル人フットボーラーの印象が強い。現在も活躍するリカルド・クアレスマが2010年に加入すると、翌年にはマヌエル・フェルナンデス、 ウーゴ・アルメイダ、シモン・サブローザが続く。シモンは1シーズンでチームを去ったが、ウーゴとフェルナンデスは、2014年までイスタンブールに留まりサポーターの支持を得た。クアレスマは先日のバイエルン戦にもスタメンフル出場。名門を渡り歩いた34歳のベテランは健在。 ◆◆◆◆◆◆ 今季のUEFAチャンピオンズリーグ(CL)のグループステージを首位で突破、決勝ラウンド進出はクラブ史上初の快挙。これまで欧州の舞台の実績ではライバル2クラブ(ガラタサライ、フェネルバフチェ)に比べ著しく劣っているだけに黒鷲たちの鼻息は荒い。レアルから獲得したペペの功績も大きく、言うまでもなくポルトガル代表。 2017年7月25日 アテネ五輪スタジアムでのCL予選は三回戦に突入。AEKアテネの相手は、かつて本田圭祐が所属したことで日本国内での知名度を一気に高めたCSKAモスクワ。前半終了間際、アラン・ジャゴエフのゴールでCSKAが先制。後半10分にスウェーデン代表ポントゥス・ヴェアンブロームのゴールで突き放す。 ここでスペイン人監督が動く。ヒメネスは4-1-2-3のワンボランチを下げ、前線の枚数を増やした。ピッチに投入された背番号9は元ポルトガル代表、ウーゴ・アルメイダだった。しかしこの采配は奏功せず、敗退したアテネはヨーロッパリーグ(EL)へと舞台を移す。同週、デンマークのブレンビーを破ったクロアチアのハイデュク・スプリトは4回戦でエヴァ―トンに敗退。 季節は夏から冬へと変わり、トルコ代表FWシェンク・トスンをエヴァートンへと売却したベシクタシュが、代役として白羽の矢を立てたのがヴァグネル・ラヴ。CSKA時代には本田と共にプレーしていた元ブラジル代表は、バイエルン戦でもゴールを決め一矢を報いた。

7 03, 2018

ぷら~り 欧州蹴球場百景【20】ワルシャワ国立競技場

By | 2018-03-08T11:00:31+00:00 3月 7th, 2018|Categories: Soccerlture League, コラム, 未分類|0 Comments

先日、これまで目の当たりにした試合でMy Best Gameを聞かれて首を捻った。そんなことを今まで考えたことがなかったが、棺桶に入る直前に聞かれても、五本の指に入っているだろうと断言できるのは、2015年のワルシャワ国立競技場の名勝負。 ◆◆◆◆◆◆ UEFAヨーロッパリーグ決勝戦に照準を定め、この年はフィンランドからロシア、バルト三国を経てワルシャワに入るスケジュールを年が明けてから組んだ。 既にベスト32の組み合わせは決まっており、これほど試合結果を楽しみにしながら真剣に各クラブの選手をチェックしたシーズンは後にも先にもない。【欧州蹴球文化探訪 第三十九の巻 驚愕のアスタナとアイントホーフェンの葬列】と題してカザフスタンの強豪アスタナを紹介している。また、ゼニトーPSV戦のプログラム写真も掲載していた⇒。当時中央にダニー両脇にフッキとオレグ・シャトフを並べたオフェンシブハーフで3-0。オランダの強豪を木端微塵に粉砕したゼニトを、内心本命候補と睨んでいた。そのゼニトを準々決勝、更に準決勝ではフィオレンティーナを破ってセヴィージャがファイナルへの切符を掴んだ。 ◆◆◆◆◆◆ 成美さんが手にした小瓶は、セヴィージャの銘柄『クルスカンポ』。その特徴は甘味あっても苦味がないこと。女性やビール苦手な方にお薦めか。この醸造所も2000年ハイネケングループに吸収され、各国に輸入されており現在日本国内でも購入できる。 前回述べた通り、トリノでトロフィーを掲げた前年覇者セヴィージャもまた本命。一方反対側の山を駆け登ったウクライナの伏兵ドニプロには驚きを隠せず。 2015年5月27日ワルシャワ国立競技場。 老朽化した旧スタディオンを2012年のポーランド・ウクライナ共催の欧州選手権の為に改修。5万8000人収容、張り巡らされたケーブルをすべるTVカメラから送られる映像に世界が注目する。 ◆◆◆◆◆◆ 華やかなセレモニーを撮影していると真っ白な泡の下で黄金色に輝く飲み物がフレームイン。ドイツ、チェコと肩を並べるビール(消費)大国がポーランド。 ◆◆◆◆◆◆ カップ戦は互いに慎重になりスコアが動かない地味な展開が定石のはず。ところが7分ロングボールに反応した右サイド、マテウスからのクロスにカリニッチが頭であわせドニプロ電光石火の先制。 これで火がついたセヴィージャも猛攻を仕掛ける。28分のセットプレー。ショートコーナーからこぼれ球を押し込んだのはクリホビアク。織り交ぜたフェイントが絶妙。その3分後 レジェスの縦パスに飛び出したバッカはキーパーも交わして逆転。スタンドを赤く染めたセヴィージャ・サポ―ターは狂喜乱舞。 サポーターの数では劣る隣国のクラブも前半終了間際フリーキックの好機到来。キッカーは同クラブのレジェンド、ウクライナ代表のルスラン・ロタン。彼が右足を振り抜くと一転。ゼヴィージャ・サポーターが一瞬にして沈黙、顔を覆い頭を抱える。 試合は後半に入っても一進一退、タイトルへの執念が双方の運動量は落とさせない。それでも最後はストライカーの技量の差が明暗を分ける。バッカがこの日2点目を決め劇的なフィナーレ。トロフィーは再びアンダルシアへと持ち去られた。 UEFA公式ダイジェスト映像はコチラ⇒2分10秒

23 02, 2018

ぷら~り 欧州蹴球場百景【17】メスツスキ・フォトバルコヴィ・スタディオン・スルブスカ / ブルノ

By | 2018-02-23T21:31:49+00:00 2月 23rd, 2018|Categories: Soccerlture League, コラム, 未分類|0 Comments

今回からカバー写真のモデルが大山成美さんに。そして四月の帰国まで週2本のペースで掲載する過酷なスケジュールが始まった。編集部から強制されたわけではないのだが、Jリーグ創生期の水曜・土曜・週2回開催が基本+Vゴール採用を思い出す。「この日程が熟せないようでは世界とは闘かえない」と川淵三郎チェアマン(当時)の叱咤が耳元から離れない今日この頃。 第十三景で取り上げたコメルツバンク・アレーナ。第23節の勝利で三位まで浮上。好調フランクフルトを牽引する主将の長谷部誠。およそ一年前、奥寺康彦氏のブンデスリーガ日本人選手最多出場記録を更新し今も「鉄人ぶり」を発揮する。既に34歳を超えた彼が半年後に控えたFIFAワールドカップ・ロシア大会に臨む日本代表において不可欠、 唯一無二の存在であることに異論を挟む余地はない。 長谷部のブンデスリーガで歩んだ道程はけして順風満帆ばかりではない。2010-2011シーズンのヴォルフスブルグは大不振。鬼軍曹マガトを復帰させるもシステムが定まらす、頻繁に選手を入れ替え混迷のままシーズン終了を迎えた。特にセントラルミッドフィルダーによる定位置争いは、熾烈を極めながら効果を発揮することなく、長谷部も苦悩していたのが11-12シーズンだったと記憶している。 ◆◆◆◆◆◆ 第十七景はチェコのブルノ。チェコと云えばビール。17年間大手ビールメーカー、ガンブリヌスが国内リーグ一部の冠スポンサーを担う。試合前プレスルームでサンドイッチと一緒に手渡されたビールの缶は同国では御馴染みの王様の絵柄。現在の冠HETは塗料メーカー。 ◆◆◆◆◆◆ チェコ共和国の都市&スタジアムを取り上げるのも今回が初めて。まずは彼女の右手にあるのは地元FCズブロヨフカ・ブルノが、1FCスロヴァーツコと対戦した2017年10月14日のマッチデープログラム。メスツスキ・フォトバルコヴィ・スタディオン・スルブスカに訪れた観客は3800人。試合はホームチームが、前半ロスタイムに先制、後半ロスタイムにダメ押し。 その後1点を返されたがブルノは勝利を手にしており、開幕当初の不振から徐々に調子を上げていた。 ◆◆◆◆◆◆ この日はカードを貰ってしまい、残り7分でベンチに退いたのが大ベテラン、ヤン・ポラーク。間もなく彼は37歳の誕生日を迎える。前述の11-12シーズンのヴォルフスブルグでは暫定監督ケストナーがボランチに固定したのがポラーク、長谷部は一列前の右サイドとボランチで併用される扱いだった。 そのポラークはこの街の出身。プロデビューしたクラブに戻り、ドイツでの188試合を含む栄光のキャリアに間もなく終止符がうたれようとしている。 ◆◆◆◆◆◆ 一方成美さん左手のプログラムは、2017年12月02日16節同スタジアムでのズリーン戦。この試合を終えると長いウィンターブレークに。 都内は年が明け二度の積雪に悩まされたが、11月末には同程度まで気温が下がるチェコ。ピッチサイドの凍った雪を避けて歩を進めた。 ◆◆◆◆◆◆ 12位まで順位を上げたブルノに対しズリーンは9位。しかしこのクラブ昨季のカップ戦覇者で今季はUEFAヨーロッパリーグに同国を代表してエントリー。10月にはデンマークの強豪FCコペンハーゲンとホームで引き分けている。格上で荷が重いかなと思いきや、ブルノが前半に先制。69分退場者を出して万事休すと思われたズリーンが83分の同点ゴールでドローに持ち込んだからフットボールは判らない。 ◆◆◆◆◆◆ 残念ながらポラークはベンチにも入っていなかったが、この日筆者のお目当ては、ズリーンでキャプテンマークを巻いた8番ペトル・イラーチェク。彼は2011年冬にヴォルフスブルグに加入。2012年1月28日、首位バイエルン・ミュンヘンの本拠地に乗り込んだヴォルフスブルグ。マガトは右サイドハーフに長谷部、その後ろにイラーチェクを配した。この試合ボランチのクリスが前半で負傷退場。急遽長谷部とイラーチェクのコンビに変更している。翌月10日の21節フライブルグ戦では先制点と決勝点を決めて得点力もアピールしたイラーチェク。 翌週は22節シャルケとのアウェー戦。スタメンン復帰の長谷部だが与えられたのは4-2-3-1の右サイド。イラーチェクはボランチ、内田篤人がフル出場したシャルケに4-0と大敗を喫した。 2012-13シーズン有り余る中盤選手は整理されイルーチェクはハンブルガーSVへ。ケストナー暫定監督は、長谷部とポラークのダブルボランチを試したが、年明け就任したヘッキングから任されたポジションは右サイドバック。しかしこの急造SBで結果を残す。日本のメディアにも取り上げられた2013年5月5日こどもの日。ハンブルガーSVとのアウェーゲーム。ヴォルフスブルグは中盤の底にポラークとセルビア人のメドジェヴィッチ。ペルシッチのクロスに長谷部がダイビング。劇的なゴールが生まれる。この日この瞬間も長谷部をマークしていたのは元同僚、長髪髭面のチェコ人だった。ちなみにフランクフルトで長谷部と再会したメドジェヴィッチは昨季をまるまる怪我で棒に振り、この冬ダルムシュタットへ。2016年3月12日ボルシアMG戦が長谷部と共に中盤を形成した最後の試合となった。

13 02, 2018

ぷら~り 欧州蹴球場百景【15】パルク・デ・プランス/パリ

By | 2018-02-13T19:34:53+00:00 2月 13th, 2018|Categories: Soccerlture League, コラム, 未分類|0 Comments

ウィーンのバーで昼過ぎからビールを飲み、12月11日隣国スイス・ニヨンからの映像を凝視した。日本でもスカパーが生中継されていたので、仕事帰りのスポーツバーでグラス片手に注目された蹴球狂も少なくはないはず。いきなりレアル・マドリードとパリSGとは、連日飲み過ぎて荒れた胃袋が痺れるビッグマッチ実現。 ◆◆◆◆◆◆ 第十五景のパルク・デ・プランス。パリ・サンジェルマン=略称PSGの本拠地。本業が芸術(美術)関連の筆者が欧州で最も訪れた街のスタジアム。足が向き始めたのはカタール王室の資金が流れ出した2011-12シーズンから。但し試合が翌日に延期された為キックオフの時間にはシャルル・ド・ゴールを発ち機上の人になっていた切なくも苦い思い出がある。スペインやトルコならば直前に試合開始がコロコロ変わるのは茶飯事でも、パリは手堅いだろうと油断した。 2017-18のUEFAチャンピオンズリーグ(CL)・グループステージは、スタンフォードブリッジと翌日のウェンブレーに惹かれてロンドンを選択、結果パルク・デ・プランスへの連続訪問は断ち切れた。 ◆◆◆◆◆◆ 2015年に本媒体でコラム連載が始まってからは、事前のプレス申請を忘れぬよう心掛ける理由がある。 アペリティフはフランス発祥の文化。プレスホスピタリティには、各国の文化と経済状況が如実に反映されて興味深い。ミラノやウィーン、ロンドンでは「しっかり腹ごしらえしてから仕事してください」と重めの食事が用意されるもだが、パリではこんな感じ。さすがアミューズブーシュの本場。 正確にお伝えするならば、パリやリヨンのスタジアムで振る舞われるメニューは、一般的なオードブルの類。本来のアミューズブーシュとは、シェフがワインにあわせ、スプーン一杯程度の大きさで供される無料サービスと・・・フランス人からの聞きかじり。 ◆◆◆◆◆◆ まずはビールで喉を潤して三品ほどつまむ。再びビール瓶に手を伸ばしなくなるが、酒盛りに来たわけではないので、オレンジジュースで我慢する。ななせさんが持っているミニペナントには裏表にはホーム&アウェーの日付がプリントされている。2015年 レアル・マドリードを迎えてのゲーム。結果は互いに無傷のスコアレスドローだった。その両雄が今季はノックアウトステージで対戦。 ◆◆◆◆◆◆ PSG加入後初となるネイマールは「白い巨人」に対して格下意識が微塵もない。バイエルンとドルトムントの同国対決となった2014年を除けば、欧州の覇権争いはスペインとイングランド両大国に絞られて久しい。フランスに限定するならば、1993年のオリンピック・マルセイユ以来四半世紀蚊帳の外。金満と揶揄されようが、マンネリを打破する意味でPSGとスペイン勢の対戦が組まれればPSGに肩入れしたくなる。 しかし今季はレアルマドリーの勝利を願って止まない。更にはヨーロッパリーグもアトレティコ・マドリーのベスト8進出を期待する。 ◆◆◆◆◆◆ なぜかと申せば3年半ぶりのスペイン、マドリードに至っては8年ぶりに訪問するので、もし準々決勝が同市で開催されないと三週間で六カ国を巡る予定が一層過酷な日程に。 いずれにしても3月16日の抽選が終了しなければ、プラハから先の航空券が手配できない。 CL前後のリーグ・アン公式戦となると一転、アンチPSGになるのが常。

8 09, 2017

日進月歩の成長を見せるFW内田美鈴が2ゴール~連敗ストップのハリマに遂に帰って来た、千葉園子【プレナスなでしこリーグ2部・第13節、ASハリマ・アルビオンVSコノミヤ・スペランツァ大阪高槻

By | 2017-09-08T00:47:24+00:00 9月 8th, 2017|Categories: 未分類|0 Comments

・リーグ再開後の連敗、立ち戻った人選
・古巣対決・虎尾を中心に面白いように相手の裏を突く攻撃
・テンポを落としながら再起動・追加点・完勝!
・帰って来た!ポリバレント・マルチアタッカー=千葉園子

8 02, 2016

GK【唯一無二の存在】

By | 2017-04-21T21:51:38+00:00 2月 8th, 2016|Categories: コラム, その他コラム, 未分類|Tags: , |0 Comments

 今回は試合において一人しかでれない過酷なポジションGKについて記事を書いていきたい。  まずGKというポジションは他のフィールドプレイヤーと違い、一人しか出場できない。このポジションに自分以上の優秀な選手がいると試合に出ること […]

28 01, 2016

欧州蹴球文化紀行 ベルギーの光と闇 第七話 サンジェルマンアンレーからの風

By | 2016-02-16T17:55:59+00:00 1月 28th, 2016|Categories: 未分類|Tags: , , , , , , , , |0 Comments

ヘントの大波乱。《英雄》はPSGユース出身者 UEFAチャンピオンズリーグ決勝トーナメントは2月16日幕を開く。16チームの国別内訳はイングランド3 スペイン3 ドイツ2 イタリア2、フランス、オランダ、ポルトガル、ロシア、ウクライナ、ベルギーが各1。 […]

28 01, 2015

宮市亮、トゥエンテとの契約打ち切りに見る若手の海外移籍の難しさ

By | 2017-04-21T21:52:12+00:00 1月 28th, 2015|Categories: 未分類|Tags: , , |0 Comments

View image | gettyimages.com  宮市亮の起死回生の一手になるはずだったオランダへの移籍は、どうやら失敗に終わりそうだ。  オランダの地元紙の報道によれば、トゥエンテは宮市と交わした一年のローン契約を一月で打ち切る方針のようだ。宮市は、この一月中に再び新しい就職先を探すこととなるだろう。 […]

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