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16 07, 2018

ぷら~り 欧州蹴球場百景【45】エスタディオ・モンティリビ / ジローナ

By | 2018-07-16T06:53:26+00:00 7月 16th, 2018|Categories: Soccerlture League, コラム, ひゃくぷら, 未分類|0 Comments

フランス二度目の優勝で閉幕。FIFAワールドカップ・ロシア大会は、クロアチア、ベルギーの躍進、日本代表の大健闘も含め、史上最高と絶賛されたブラジル大会を凌ぐ好ゲームが続いた。 ◆◆◆◆◆ あすみさんが今回手にしているのは日本でも購入できるトラス社のゼロ・ダークチョコレート。同社はカタルーニャ地方のジローナに位置し、フランスの国境から60km、バルセロナ港から120kmの距離。売り上げの35%以上が国際市場であるのも頷ける。 1890年創立なので、スペイン最古のチョコレート・メーカーの1つ。本場ベルギーの企業との技術提携により向上した品質で、今日世界各国で愛食されている。 ◆◆◆◆◆ 第45景はジローナFCの本拠地エスタディオ・モンティリビ。訪問したのは指宿洋史(現ジェフユナイテッド市原・千葉)在籍時なので、9年前。当時はライアンエアがバルセロナのエル・プラット空港に乗り入れしておらず、ジローナのコスタ・ブラバ空港に着陸。リムジンバスは、バルセロナとジローナ駅に運行していた。 ◆◆◆◆◆ ジローナFCはクラブ創立以来初の二部昇格で沸き返っていた。そして昨季クラブ創立87年目にして悲願の1部昇格を果たしている。開幕戦でアトレティコとドロー、10節ではレアルからまさかの逆転大金星。マドリッドのビッグクラブ相手にカタルーニャの弱小軍団が起こしたドラマは歴史を知るものにとって痛快極まりない。 ◆◆◆◆◆ 今回、ロシア大会には、ジローナFCから3選手がエントリーしている。日本のサッカーファンに認知されたのは、コロンビア代表の左サイドバック、ホアン・モヒカ。原口元気とのマッチアップ。原口に押し込まれたモヒカは、攻守両面で精彩を欠いた。第二戦ではベンチかと思いきや、ペケルマンの期待に応えポーランドを圧倒、セネガル戦も粘り強い守備で無失点に貢献した。イングランド戦でも後半41分のクロスで見せ場をつくり終わってみれば全四試合フル出場。昨年までの代表キャップ数2から8まで伸ばしレギュラーの座をを確保している。 ◆◆◆◆◆ ゴールキーパーのモロッコ代表、ボナは出番なし。 ジローナFCの大黒柱は、クリスティアン・ストゥア―ニ。↑ 画像クリックで youtube《Girona FC vs Atlético de Madrid》動画

10 07, 2018

ぷら~り 欧州蹴球場百景【43】コリセウム・アルフォンソ・ペレス /  ヘタフェ

By | 2018-07-10T10:23:43+00:00 7月 10th, 2018|Categories: Soccerlture League, コラム, ひゃくぷら|0 Comments

明日はベスト4が激突。敗退国では、代表引退宣言や既に新シーズンの移籍のニュースが飛び交う。日本人では今大会で一気に評価額を高騰させたのはヘタフェの柴崎岳。 ◆◆◆◆◆ 第43景はスペインマドリッドの南側、ヘタフェにあるコリセウム・アルフォンソ・ペレス。1998年竣工なので比較的新しい。収容人員も18000人弱。個人的には大き過ぎず、小さ過ぎず、程よいキャパシティだと感じている。但しメインスタンド以外は屋根がない。プレス席からだとこんな感じ。 ◆◆◆◆◆ アルフォンソ・ペレスの響きは90年代の名前だけで、全然無敵艦隊じゃなかったスペイン代表を知るものにとっては懐かしい。ペレスはヘタフェの出身であってもこの街のクラブに在籍した期間はなく、乾貴史が移籍したことで日本国内でも注目が高まるであろうレアル・ベティスで活躍した点取り屋。 ちなみにヘタフェの西隣、フエンラブラダにはフェルナンド・トーレスの名前を冠したスタジアムもある。 ◆◆◆◆◆ 12号線のLos Espartales駅から5分もかからないアクセスの良さ。 カバー写真であすみさんが手にしたボトルは、アルトザーノのベルデホ&ソーヴィニヨン・ブラン。 続いてシェリー酒を注がれたマンサニージャ・ラ・ヒターナのグラス。アンダルシア特産の白ワインであるシェリー酒は1835年創業のゴンザレス家と英国の販売業者ビアス家の共同経営により、西英両国から欧州へと広がり「銘酒」として育まれた。 ◆◆◆◆◆ ヘタフェから更に60キロほど南へ下ると遺跡の街トレド。2006年この街にゴンサレス・ビアス社はフィンカ・コンスタンシアなるワイナリーを開設している。アルトザーノはこちらで醸造された製品。 コリセウム・アルフォンソ・ペレスの施設内には試合がない日でもバールが営業している。当然注文するのは昼間から赤ワイン。 しかしこのクラブを柴崎が間もなく去るのは、間違いない。 ◆◆◆◆◆ 日本代表対ベルギー代表。日本の48に対し、ベルギーは279と約6倍の数値。これが紙一重と言われる両国の差。日本の主な敗因としても過言ではないだろう。しかしこの数字が何かと質問して即答できるサッカー通は結構少ない。ビギナーの方向けにヒントとしてベルギー代表の内訳も。

3 07, 2018

ぷら~り 欧州蹴球場百景【42】ヒデクチ・ナーンドル・シュタディオン / ブダペスト

By | 2018-07-03T04:56:57+00:00 7月 3rd, 2018|Categories: Soccerlture League, コラム, ひゃくぷら|0 Comments

もはや狂喜の祭典と化したロシア大会。その主役は日本代表であり、火中の栗を拾った西野劇場は幕を閉じた。 幕開けは5月19日コロンビア戦。敵将はアルゼンチン人のホセ・ペケルマン。 勿論、前回ブラジル大会で、ザックジャパンをコテンパンに叩きのめした指揮官を知らないサッカーファンはいないだろうが、我々の世代にとっては、95年カタール、97年マレーシア、2001年の自国開催とU20で世界を三度制した「育成の名手」のイメージが強い。この95年カタール大会以降、Jリーガーで構成された日本代表がアジア予選を突破して本大会に出場しているが、93年豪州大会のアジア予選(92年UAE開催)は、西野朗監督と山本昌邦コーチで挑み、宿敵韓国の前に苦汁を飲んだ。大会後西・山コンビはこの世代をたくされ、アトランタ五輪を目指すことに。 第42景はハンガリーの首都、MTKブダペストの本拠地。ヒデグチ・ナーンドル・シュタディオン・スタジアム。 コチラで書いたとおり、初訪問時は2013年6月。あすみさんが持っているのは、シーズンの最終戦のチケット。 ◆◆◆◆◆◆ 現在は近代的なスタジアムに様変わりしプレス・ジャケットもこのようなオリジナルデザインを採用しているが、5年前は日本円に換算して1000円もしないチケットを購入していた。プレス席、VIP席と一般席の区別もなく、古巣を応援しに来た代表のエース、ジュジャークを簡単に見つけることもできた。 ◆◆◆◆◆◆ 試合前に列挙されたベンチ入りメンバー氏名に目をやり「さすがに知っている選手はいないだろう」と半ば諦めていたのだが、・・・いた。 記憶に自信がないので、宿に戻りPCを開いて確認した。 この日、MTKブダペストの対戦相手は デブレツェンVSC。ベンチに控える背番号7はティボル・ドンビ。 ◆◆◆◆◆◆ 1996年7月25日オーランド・シトラスボウルスタジアム 最終戦で対戦したハンガリー五輪代表の右ウィンガー。同じく背番号7の赤いユニフォーム姿のドンビと、マッチアップした背番号3は鈴木秀人。(日本から見て)左サイドで繰り広げられたスピーディーな攻防にブラウン管の前で釘付けとなった。 1973年11月11日生まれなのでこの時39歳の大ベテラン。そんな彼も2016年にスパイクを脱いでいる。 ◆◆◆◆◆◆ 最終戦を前に敗退が決定していたハンガリー五輪代表ではあるが、金メダリストのナイジェリアとの初戦は0-1、ブラジル戦でも一度は同点に追いつくなど、欧州予選を勝ち抜いてきただけのことはある。 ◆◆◆◆◆◆

9 05, 2018

ぷら~り 欧州蹴球場百景【34】スタッド・ドゥ・ラ・メノ/ ストラスブール

By | 2018-05-10T11:25:17+00:00 5月 9th, 2018|Categories: Soccerlture League, コラム, ひゃくぷら, 未分類|0 Comments

ナイトゲーム撮影時に防寒着を欠かせなかったポルトガル、一方汗ばむ陽気の東欧から帰国すれば、日本は青葉繁れる好季節。 そしてワールドカップモードに突入。前回椎名林檎の「NIPPON」が物議を醸したNHKのテーマ曲を今回は誰が担うのか。芸術とは創作者と鑑賞者、即ち送り手と受け手、パサーとレシーバーの関係で成り立つ。猫に小判の価値はわからず、飛べない豚はただの豚である。 ◆◆◆◆◆◆ カバー写真のモデルさんも大山成美さんから三代目にバトンタッチ。今回招聘した平久保安純(あすみ)さんは、この春早稲田大学社会科学部を卒業した新社会人。学生時代はソフトテニスの日本代表として活躍した輝かしい経歴の持ち主。数々の国際大会を経験する中で、普通の女の子が味わえないものを口にしたり、貴重な体験をしている彼女の逸話は、今後徐々に紹介する。まずは撮影の緊張を解すために、シャルドネを口に含んでもらった。 ◆◆◆◆◆◆ フランスの中東部に位置するブルゴーニュ地域、絡み合う運河の隙間に点在する古城を眺め、シャルドネ以外にも本家本元のピノノワール、シャブリ、ボジョレーを味わおうと世界のワイン通が集う。その東、ドイツ国境沿いまではアルザス・シャンパーニュ。字面を眺めるだけで舌の上で風味がはじけるから不思議。 ◆◆◆◆◆◆ 地域圏の首府ストラスブールの街並みは、ラテンとゲルマン双方の文化が漂いフランスの中でも異彩を放つ。 シュツットガルトからパリへ移動する際の途中下車。一度だけ立ち寄り、スタジアムも遠巻きにして眺めたが撮影はしていない。 そこで今回はもう一人強力な助っ人を招聘した。早稲田大学からの交換留学生としてこの街で暮らす細井辰真さん。先月プラハ滞在時、偶然同室になった日本人は、可也のフットボール通。彼がメスを訪問した際、撮影した川島選手、フレデリック・アンツ監督とのツーショットがこちら↓ ◆◆◆◆◆◆ 第三十四景はRSストラスブールの本拠地スタッド・ドゥ・ラ・メノ。 2010-11シーズンに財政難で5部にまで沈んだ名門が今季遂に1部に復帰。 ◆◆◆◆◆◆ リーグアン第7節 9月24日の対ナント。3万人キャパの同スタジアムに23,408人の観客。 10月25日のASサンテティエンヌとのリーグカップ戦は平日(水曜)開催ながら18,317人を動員している。当面の目標、一部残留はクリアできるであろう今シーズン。 ◆◆◆◆◆◆ ところでフランスのリーグで初めてプレーした日本人は廣山望(2003年モンペリエに所属)だが、東洋人ならば1998年の徐正源(ソ・ジョンウォン)。彼が在籍したのは、このRSストラスブールだった。 あすみさんを撮影するにあたり、プレーの映像を視聴すると、画面には韓国代表とのラリーの応酬。半年間に及ぶ強化合宿を設けて国際大会に臨むらしいプロ集団の韓国は女子選手でも屈強な体躯を誇る。それに比べて早稲田の女子大生プレーヤーはしなやかではあるが、その肢体はあまりにも儚げ。 プロリーグを発足した韓国に対してアマチュアの日本A代表がまるで歯が立たなかった80年代の日韓サッカー情勢が脳裏に蘇る。

27 04, 2018

ぷら~り 欧州蹴球場百景【32】ウェンブリー・スタジアム / ロンドン

By | 2018-05-01T19:45:03+00:00 4月 27th, 2018|Categories: Soccerlture League, コラム, ひゃくぷら, 未分類|0 Comments

第32景は聖地ウェンブリー。言わずと知れた世界最大の屋根付蹴球場である。旧年は酉年。仇敵アーセナルの順位を上回りスパーズのファン・サポーターは、22年間溜まりに溜まった溜飲を下げた。17-18シーズンも好調、プレミアではロンドン勢最上位の四位をキープ、UEFAチャンピオンズリーグ(CL)も最終節を迎える前にグループステージを余裕でクリアしたのだから大満足で年を越せたはず。 年明けユヴェントスの前に涙を飲んだが今大会屈指の名勝負。それにしてもこの後、ローマVSバルサ、ユヴェントスVSレアルと名勝負の連鎖には驚きを隠せず。 ◆◆◆◆◆◆ 成美さんが持っているフラッグ。実はプリントされているトッテナムのエンブレムが雄鶏だと最近まで知らなかった。きっとロンドンには磐田でジュビロ君のモデルになった三光鳥のような野鳥が生息していたんだろうと勝手に決めつけていたのである。果たして・・・これがニワトリに見える読者・ユーザーがどれほどいるものか。 ◆◆◆◆◆◆ 消火試合になってしまったとはいえ、この旗を振ったサポーターで大賑わい。ガラス張りの壁面におなじみのシンボルロゴが投影されるのを見ると感無量。 実はこのニューウェンブリーが完成した際、重ねた歴史と伝統が威厳を醸すツインタワーが取り壊されたと聞いて愕然とした。実際ロンドンでもツインタワーを別の場所に移せないかと、議論されたとか。旧ウェンブリーの着工は1922年だが、このツインタワーは1889年の大英博覧会のために建造されている。辛うじて旧ウェンブリーの面影を残すのが1966年世界を制した代表チームの主将ボビー・ムーアの銅像とあって、記念撮影に興じるファンも多い。 ◆◆◆◆◆◆ 筆者だけでなく多くの日本人ファンがウェンブリーの存在を身近に捕らえたのはJリーグ開幕を控えた1992年。欧州王者は年末に来日することが慣わしだった当時、クライフ率いるバルセロナが欧州を初めて制覇した会場として、脳裏に刻まれたから。 また1995年には日本代表がイングランド代表と対戦したアンブロカップ。一度は同点に追いつかれ本気モードのスリーライオンズ。頭に包帯を巻いた中山雅史の雄姿も回想すれば郷愁を感じる。 ◆◆◆◆◆◆ それが、近代的で無国籍なデザインになってしまったのは誠に残念。それもそのはずデザイン・設計を担当したのは、米国カンサスシティに本社を構えるポピュラス。 1983年HOKのスポーツ専門の設計・建築部門が設けられ英国のロンドンと豪州のブリスベンを拠点に国外へも進出。これまで野球のメジャーリーグやNFLで使用される多くのスタジアムを手掛けた。サッカー場ならば現在、世界にふたつある日産スタジアムの、もうひとつのほう、2017年のCONCACAFゴールドカップの公式戦が行われたテネシー州ナッシュビルの日産スタジアムは同社デザイン。またアーセナルのエミレーツに、ウエストハムの五輪スタジアムと、ロンドンの巨大蹴球場は漏れなくポピュラスの作品。 ◆◆◆◆◆◆◆ さてウェンブリーに来た以上、まずはコレを撮影しなくてどうすると、レンズを向けたのはコレ。ツインタワーに代わる象徴、それは41個のリングが、まるで天に架かる虹を連想させるアーチ。これこそ大揉めの新国立競技場デザイン騒動のおかげで、建築にまったく興味のない方まで知ることになった「キールアーチ」。ここまで巨大な建物でこの構造が可能なのかと素人でも疑問に思うが、アーチが屋根を上から支えており、唯のモニュメントではないと聞かされれば納得してしまう。 実は、当初新国立競技場のコンペで故サハのデザインに次ぐ評価を受けたがオリジナリティに欠けるという理由で涙を飲んだ豪州のコックス建築設計事務所の案。フィールドを上げ底にすることで、陸上トラックを仮設できる多種目対応型だったが、これはウェンブリーのパクリ・・・もとい同様のアイディア。個人的にはこちらのデザインに一票を投じたかったのだが。 ◆◆◆◆◆◆◆ 冒頭でニワトリにふれたが、今回のキャッチ画像も何枚か成美さんを撮影した中から見事な「アヒルぐち」を採用した。先代のななせさんといい、今時の若い娘さんはこちらがリクエストしなくても上手にアヒルぐちの表情をつくる。

3 03, 2018

ぷら~り 欧州蹴球場百景【19】スタディオン・リュドスキ・ヴルト/ マリボル

By | 2018-03-05T17:14:04+00:00 3月 3rd, 2018|Categories: Soccerlture League, コラム, ひゃくぷら|0 Comments

メジャーとマイナー。野球選手の契約以外でも頻繁に使われる今日、日本人にとって欧州のメジャーは英国とEUを支える独・仏・伊、蹴球大国スペインも含まれるだろう。 ではマイナー国は?一般的には20世後半に分裂や独立した国が該当するのかもしれない。 ◆◆◆◆◆◆ 最初の写真はミンスクのエアポート。ソ連邦の崩壊直後に訪問した懐かしのベラルーシ。同じくソ連邦からの独立、バルト三国最大の都市、ラトビアの首都リガの風景は三年前に撮影した。生憎の空模様は自分にとってかなり珍しく少々驚く。 ◆◆◆◆◆◆ そんなマイナー国でさえ、ご縁もあったのに、2002年FIFAワールドカップ日韓大会に代表チームを送り込んだ国家でありながら、何故か今までスル―してきて、昨年ようやく国境を越えて領土を踏んだのが、旧ユーゴから分裂した『スロヴェニア』 パスポートには車の印。国を表すツーレターコードはSIと記されている。 ◆◆◆◆◆◆◆ 前回第十八景クロアチアのザグレブから国境を越え入国した都市はZavrč ザヴルチ。そこから、オーストリアのグラーツに向かう途中、第二の都市マリボルに立ち寄る。スロヴェニアの首都、西側のリュブリャナのオリンピアは過去のUEFAコンペティションで全て予選敗退。従ってこの国ではマリボルがフットボールの首都。 ◆◆◆◆◆◆◆ 第十九景はNKマリボルの本拠地 スタディオン・リュドスキ・ヴルト。 駅から西側に1キロ程の歩くと南にはドラバ河、北側斜面からはスタジアムを撮影するのに絶好のロケーション。かつて墓地や教会があった区域は、20世紀に入るとスポーツ・レクリエーション公園に整備。第一次対戦後のクラブ創立時、陸上競技、テニス、サッカー部門が設けられ、1920年に地元ボランティア(その中には刑務所の服役者も含まれた)スタジアムが完成した。 ◆◆◆◆◆◆◆ メインスタンドと曲線状の屋根が設置されたのは1960年代以降、その後も改修を重ね、現在のキャパシティは12,702席。 キャッチの画像は乃木坂のレストランで撮影。成美さんも発泡酒の泡も美しく撮れたと自画自賛ならぬ自写自賛。 19世紀フランスがスペインに侵攻した際、シャンパーニュ式製法がスペインのカタルーニャ地方に伝わる。スペイン産カヴァは、日本にも輸出され、本場のシャンパンよりもお手頃価格とあって普及した。ドイツのゼクトもシャンパンと同じ製法。ワイン大国イタリアのスプマンテも都内のレストランで味わうことができるはず。但しこれだけは現地でしか飲めないと思われるのがペニーナ。実際に味わってみると、シャンパンやカヴァと何が違うのかよくわからない。美味いことは美味いのだが。 ◆◆◆◆◆◆◆ 真夜中の道路を疾走。車窓はただただ雪景色のみ。高速の出口で英語とスロヴェニア語の標示があったのでシャッターを切る。クロアチアからアルプス方向に向かっているのだから寒くて当然。後日スタジアムはこんな状態で欧州蹴球シーンはウィンターブレークを迎える。 ◆◆◆◆◆◆◆

28 02, 2018

ぷら~り 欧州蹴球場百景【18】 スタディオン・マクシミール / ザグレブ

By | 2018-03-01T22:46:15+00:00 2月 28th, 2018|Categories: Soccerlture League, コラム, ひゃくぷら|0 Comments

第十八景は、クロアチアの首都ザグレブにあるマクシミール。 前回のチェコ同様、クロアチアも今回初めて取り上げる。多くの日本人がイメージする同国は旧ユーゴからの分裂国でも西南、アドリア海に面した観光立国のイメージだろうか。 西側は地中海性気候で温暖ではあるものの、ザグレブは大陸性気候とあって、真冬は氷点下が続く。 ◆◆◆◆◆◆ 2月13日 ノックアウトラウンドの火蓋が切って落とされたUEFAチャンピオンズリーグ。ここからは好カード目白押し、目が離せない。ユヴェントス対トッテナムは初戦双方譲らす2-2ドロー。トッテナムは昨秋、ウェンブレーでのAPOEL戦。一方今季のユヴェントスは観ていないが、昨季リヨンでのアウェー戦勝利に立ち会う。マリオ・レミナの写真とテキストがコチラ⇒ このシーズンはリヨン、清武が在籍中のセビージャ、そしてディナ・ザグレブが同居したグループHを余裕で突破すると、バルサを破りファイナルへと進出したユーヴェ。2016年9月27日 観衆は23,875人。ザグレブ市民が母国の代表クラブを後押したにも関わらず0-4とユヴェントスに大敗。もちろんその中には悪名高きブルーバッドボーイズが含まれている。 CLグループステージでは常連、クロアチアの名門ディナモ・ザグレブの名前が今季は見当たらない。2005年以来、一強独裁の同国においてディナモの12連覇を阻んだのはリエカ。再び国内を制し欧州の舞台に返り咲こうとする巨星ディナモの試合を撮影したのは三か月前。 ◆◆◆◆◆◆ 欧州のスタジアムが戦場なのは言うまでもない。但し筆者が戦う相手は「寒さ」。この日過労からか風邪気味。幸い宿舎はスタジアムまでトラムで一区間の距離。徒歩でも全く問題はない。リュック一つ背負っての一人旅。衣類も最少限にとどめ毎日手洗いの繰り返し。防寒対策ならば、現地のスーパーで購入したラップを巻き付けるに限る。宿舎のロビーでミイラ男に変身中の写真がコチラ。東洋人の奇行に宿泊者もスタッフも皆振り返る。 ◆◆◆◆◆◆ ディナモといえば選手入場時のこの演出。旗を掲げた美女が並ぶ。試合は首位ディナモが9位イストラを5-1のスコアで一蹴。現在ディナモのスターは、アンテ・チョリッチ20歳。リヴァプールやトッテナムも注目した逸材はこの日72分ピッチに登場。僅か6分でネットを揺らし才能の片鱗を覘かせた。 ◆◆◆◆◆◆ それにしても参ったのはゴール裏に陣取った悪童達。相手キーパーに向けて握り固めた雪のつぶてを、投げる投げる投げまくる。 ◆◆◆◆◆◆ 足元に点々と散らばっているのがこの画像でも確認できる。更にターゲットはキーパーだけでなく、撮影スタッブにも容赦なく飛んでくるのだが、雪合戦に慣れているのかコイツらコントロールもよくなかなかの強肩ぶりを発揮。直撃はしなかったがその頭のイカレぐあいは噂通り半端ない。 ◆◆◆◆◆◆ 1998年フランス大会、クロアチアと日本は共に初出場。直接対決に敗れた日本代表は全敗し、得点王ダヴォール・シューケルの活躍で、独蘭を撃破して殊勲の銅メダルを持ち帰った。大会終了後、三浦和良選手は、スイスのチューリッヒとクロアチアザグレブからのオファーから後者を選んだ。著書には「ザグレブのホームスタジアムに入った瞬間『ここだ』と思った。ちょうどチャンピオンズリーグの試合日で、お客さんは満員。 ものすごく寒かったけど 会場の雰囲気は素晴らしかった・・・」《文藝春秋Dear KAZU 僕を育てた55通の手紙より抜粋》

20 02, 2018

ぷら~り 欧州蹴球場百景【16】エスタディオ・ジョゼ・アルヴァラーデ/リスボン

By | 2018-02-20T10:54:04+00:00 2月 20th, 2018|Categories: Soccerlture League, コラム, ひゃくぷら|0 Comments

卒業シーズンには少々早いが今回でカバー画像の花園ななせさん卒業。3ヵ月半計16回UPした中で、個人的にこのショットが一番気に入っている。 曇り空の適度な自然光の中で撮影したが、この写真だけ簡易レフ板で光、正確には光ではなく影を調節した。 《ななせさん有難うございました。今後のご活躍を祈念しております》 彼女の首に巻かれているのはスポルティングCPのマフラー。日本ではスポルティング・リスボンの名前が根を下ろす。 第十六景はエスタディオ・ジョゼ・アルヴァラーデ。これほど豊富に彩られたスタンドは中々お目にはかかれない。より際立たせるのはイベリア半島の強い陽光。 UEFA欧州選手権開催のために新設された空間を手掛けた建築家・デザイナーの名はトマス・タベイラ。60年代リスボンの美術学校を経て、大西洋を越えた彼はマサチューセッツ工科大学:MIT)にて地域・都市計画の大学院学位を習得、その後カリフォルニア工科大で教鞭を振るう。70年代リスボンとサンパウロにオフィスを構え、同国のポストモダン建築を牽引した巨匠。 ◆◆◆◆◆ 筆者が訪問したのは2010年4月2日第25節対リオ・アヴェ戦。金曜のナイトゲームとあって観衆は1万6400と少々寂しい。前日ルスでのリヴァプールサポーターを含む5万人の熱狂が脳裏に焼きついた直後だけに、寂寥感も一入。 ◆◆◆◆◆ 前年までのFCポルトの一強時代に終止符を打ち、ジョルジ・ジェズス率いるベンフィカが席巻するのを横目にスポルティングは迷走状態。しかし南米各国代表級をずらりと揃えたベンフィカに対し、モウチーニョ、ベレーゾ、ポスティガ、現在もゴールマウスを死守するルイ・パトリシオと自国代表のタレントを充分過ぎるほど揃えていたスポルティング。この日の試合は5-0でリオ・アヴェに圧勝している。 ◆◆◆◆◆ 今シーズン、レアル・マドリードやモナコでプレーしたファビオ・コエントランが2011年以来6年ぶりに国内復帰を果たした。ベンフィカ時代にジュズスが中盤から左サイドバックにコンバートした愛弟子。恩師の下、今期は軽傷で欠場した4試合を除き、11試合に出場。二試合連続しての欠場がなくフィットネスレベルを高く維持できているようで、14節には今季初得点も決めている。 移籍直後の昨夏8月には、ワールドカップ予選のフェロー諸島戦、ハンガリー戦にも召集されている。前回紹介したが、次回からぷらひゃく秘書の看板はななせさんから、こちらの成美さんに引き継がれる。 ◆◆◆◆◆ 田中順也がスポルティングを退団して二年が経過。金崎夢生がポルトガルを去ったのも同時期。2017年12月17日第15節。久しぶりに日本人フットボーラーがジョゼ・アルヴァラーデのピッチを踏んだ。中島翔哉。ルスでの5万2000人には及ばなかったもののこの日の観客数は4万3000人を越える。二十三歳の年齢を欧州では若武者とは呼べないが、ビッグスタジアムでの公式戦が日常になり、経験は財産として確実に蓄積される。この試合はスポルティング相手に11位ポルティモネンセも健闘したが2-0。 ◆◆◆◆◆ 左にコエントラン、この日中島が対峙した右サイドバックは、昨季まで2シーズンレアル・ベティスのレギュラーを張った、クリスティアーノ・ピッチーニに蓋をされた。実はピッチアーニは昨季、エイバルの乾と対戦した際、後ろから倒したとして一発赤退場を喰らっている。ジャポネのドリブラーには気を引き締めて臨んだか。 このイタリア人に加え、中央にはバルサからジェレミー・マシューと三人をリーガから獲得。もう一枚のセンターバックはウルグアイ代表のセバスティアン・コアテス。サンダーランド時代(2015年)には開幕戦で岡崎のレスター、サウサンプトンの吉田とも対戦している。

6 02, 2018

ぷら~り 欧州蹴球場百景【14】スタディオ・オリンピコ・ディ・トリノ

By | 2018-02-07T06:28:51+00:00 2月 6th, 2018|Categories: Soccerlture League, コラム, ひゃくぷら|0 Comments

2017年最後の欧州巡回。まずは駅売店で手に取ったガゼッタ・デ・スポルト。 11月28日の日付に苦い記憶が蘇る。一面にはACミランの新監督にジェンナーロ・ガットゥーゾ就任が正式に発表された記事。年が明けてからは22節ラツィオ戦勝利を含めここまで無敗と復調の兆し。但し昨季ピサを三部に降格させた人物の手腕に大きな期待を寄せるのも如何なものかと。 写真は2008年開業したトリノ・ポルタ・スーザ駅。 ◆◆◆◆◆ リヨンからTGVで到着。この近代的な駅舎からトラムの10番線に乗って南方向へ十数分(7区間)。ポルタ・ヌォーバからもほぼ同じ距離。アクセス快適なスタディオ・オリンピコ・ディ・トリノ。 ◆◆◆◆◆ ヴィットリオ・エマヌエーレ2世。サヴォイア家当主が統一したイタリア王国の首都は当初トリノにあった。僅か四年の間ではあるが。トリノは当時からチョコレート、その後自動車産業、フットボールで名を馳せる。19世紀産業革命は、チョコレートの製造技術も格段に進歩させ、トリノにはマイアーニをはじめ周辺国からチョコレート職人が集まる。カファレル社を創業するピエール・ポール・カファレルの『カファレル』、『ヴェンキ(VENCHI)』と現在も名の知れたチョコレート工房がこの時代に誕生する。 ななせさんが味わったのは吉祥寺のカファレル店で購入した一品。 フランスのルノー社創業より一年遅れて1899年、トリノでジョヴァンニ・アニェッリ他数人による出資で産声をあげたのがフィアット社。「トリノのイタリア自動車製造所」頭文字を取ってFIATと命名された。そのフィアットは新型車タイプ4を発売するにあたり、チョコレートのコンペティションを企画した。この話題づくりは奏功し、四層構造のチョコレートを発表した1911年以来、現在もマイアーニのショーケースにはフィアットロゴ入りのチョコレートが並んでいる。 フィアット社創業よりも二年程さかのぼる1897年。高等学校の学生によってユヴェントスは誕生していた。1905年に全国大会で優勝するもクラブは分裂。元会長のアルフレド・ディックがFCトリノを創立する。一方エドアルド・アニェッリがユヴェントスを買い取ったことでフィアット社との蜜月、そして両クラブが火花を散らすライバル関係が始まる。 ◆◆◆◆◆ トリノでは強さの象徴が牛。街中を散策するといたる所で牛さんをモチーフにしたデザインと出くわす。また欧州屈指の美食の都でもある。ピエモンテ料理を詳しく紹介できるほどのグルメではないが、ファッソーネ牛の生肉をオリーブ油、塩、胡椒のみで味つけ、チーズを添えれば『Battuta=バットゥータ』が完成、これに優るものは無し。ピエモンテ地方はカステルマーニョチーズ発祥の地でもある。 美しいカメリエーラに赤ワインのボトルを開けてもらい、グラスに注がれたワインとのマリア―ジュは無双。ロベルト・バッジョとエンツォ・シーフォが同時にピッチに立つほど贅沢である。今や習慣となった食前酒=アペリティフも18世紀の後半からこの街で始まった食文化である。 ◆◆◆◆◆ 前述のとおりユヴェントスの後ろ盾は、フィアットクライスラーグループ。一方2013年からは日本の四輪二輪メーカー、スズキの現地法人がトリノFCの胸ロゴスポンサーに名乗りをあげる。 15-16シーズンは、ヨーロッパで販売された新型SUV「VITARA(ビターラ)」の名も。 再び2017年11月28日のガゼッタ・デ・スポルトの紙面。 ◆◆◆◆◆

30 01, 2018

ぷら~り 欧州蹴球場百景【13】コメルツバンク・アレーナ /フランクフルト

By | 2018-02-06T11:26:41+00:00 1月 30th, 2018|Categories: Soccerlture League, コラム, ひゃくぷら|Tags: |0 Comments

フランクフルト・アム・マイン。金融都市として繁栄を誇る大都市。筆者の記憶にあるフランクフルトは、富豪の屋敷にクララと執事のロッテンマイヤーさんが住む街。アルプスの大自然と対局に位置する大都市とし描かれている。 キャッチ画像のななせさんが手にしている小瓶は、シェッファホッファ。実際口に含んだ彼女も「まったり甘く、トロッとした舌(喉)ざわり」と、表現しているが本場のヴァイツェンは甘すぎて、ドライ好きの日本人の口には正直あわない。しかしこのシェッファホッファは、とろみと甘さをおさえ、程よい飲み心地。今日ドイツ全土、そして日本でも入手できるシェッファホッファは、代表的なヴァイツェン(小麦)ビールだが、バイエルンと云えばアルプス、白ビール、そしてフットボール。グアルディオラも白ビールシャワーの洗礼を浴びた。シェッファホッファはフランクフルトのコンラド・ビンディングに買収され、そのビンディングもラーデベルガー(ザクセン州ドレスデン)の傘下にあるのだが、フランクフルトで醸造されているのは間違いない。 第十三景はそのフランクフルトにあるコメルツバンク・アレーナ。 ◆◆◆◆◆◆ 地元のコメルツ銀行がネーミングライツを獲得したのは2005年。2013年12月12日ヨーロッパリーグGS最終節。対APOELニコシア戦、4-1-4-1のフォーメーション中盤4枚に左端に背番号8乾貴士の姿があった。 試合前のピッチサイドには公式マスコットAttilaアッチラを見つけた。高原直泰がハンブルガーSVから移籍したのが2006-07シーズン。同じ年に加わった新人は“本物”のタカ。 ◆◆◆◆◆◆ その高原と稲本潤一の同級生コンビ、現在所属する長谷部誠と鎌田大地に加えポルティモネンセの中島翔哉にも興味を示した日本人贔屓。しかしその歴史を紐解くとアジア各国のプレーヤーがこのスタジアムのピッチを踏んできた。 1980年のUEFAカップでは準決勝のバイエルン・ミュンヘン、決勝でボルシア・メンヒェングラートバッハを破りトロフィーを掲げたの範根車(チャブンクン)。ちなみにボルシアが準決勝で対戦したのはシュツットガルト。同年のチャンピオンズカップでは惜しくもノッティンガムフォレストに敗れ銀メダリストを手にしたのはドイツ王者ハンバルガーSV。ブンデス黄金時代を象徴している。この年この街で生まれた範根車の実子、車 ドゥリも同クラブでプレー、90年代半ばには豪州代表のネド・ゼリッチがプレーした。2002年に浦和レッズでプレーした彼は現役引退後コメンテーターとして豪州のTV画面で頻繁に目にする。1998年には楊晨(ヤン・チェン)が欧州のトップリーグで初の中国人プレーヤー登場と話題に。そして高原、稲本と同時期にはイラン代表メフディ・マハダヴィキアが在籍していた。 ◆◆◆◆◆◆ 2007年9月16日第5節 フランクフルトはホームでハンブルガーSV戦。前節アウェーのブレーメン戦で初黒星を喫したが稲本はスタメン、コンディション不良で出遅れていた高原も右サイドハーフながら後半投入されている。因縁のハンブルガー相手に、日本人初の揃い踏みでホーム三連勝を飾った。あれから十年の歳月が流れている。 当時この試合に注目した理由は複数あり、1998年6月25日大宮サッカー場で観戦した際の記憶もそのひとつ。正式な名称は、大宮公園サッカー場で同公園の南端に位置している。駅から歩くと「神社はあっても公園がないじゃないか」とぼやきながらも、東京五輪年生まれとしては、同五輪で使用された日本初のサッカー専用球技場を感慨に耽りスタンドから眺めた。 ◆◆◆◆◆◆ ピッチ上では翌年ナイジェリアで行われる世界選手権(現U-20)を目指す若者達が躍動していた。同時期開催されたFIFAワールドカップ・ジャマイカ戦に小野伸二が出場。市川大祐も帯同中で不在。主将の高原に関しては既にジュビロ磐田でのプレーを数回目の当たりにしていたが、稲本のプレーを生で観るのはこの日がお初。チケットぴあで購入し代金800円が格安に感じるほど、本山雅志が存分にキレキレのドリブルを披露する横で、前年に最年少=17歳6か月でデビューしたJリーガーは、格下相手ながら拾い視野の広さでバランスを考え「抑えてるな」と感じた。隣の友人も「酒井友之【※集合写真7番】と組ませるなら稲本もっと前でよくねえか?」呟いていたと記憶する。 ◆◆◆◆◆◆ その後、大改装を経て「ナクスタ」と呼ばれるようになると車で数回観戦に訪れていたのだが、昨年10月、およそ20年ぶりに大宮駅東口から氷川神社入り口に向かって歩を進めた。 きっかけはサッカルチャー編集部の責任者がヴェルティ・ユース出身なのにホームタウン活動の参加経験ないと聞いて“それは怪しからん”と、NPO,NGO経験豊富な筆者同行で取材を兼ね「大宮クリーン大作戦」に参加した。ホームゲーム開催週に加え、毎月第4金曜日に大宮区役所職員と合同で実施している清掃活動。

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