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12 12, 2017

ぷら~り 欧州蹴球場百景【6】 シュタディオン・アントナ・マラティンスケーホ/トルナヴァ 

By | 2017-12-12T22:57:56+00:00 12月 12th, 2017|Categories: Soccerlture League, コラム, ひゃくぷら|0 Comments

本日、本年最後の欧州巡回から帰国。あちらはクリスマス・カラーに染まり厚手のコートや防寒着を羽織らなければ外出できない季節の到来。新バナーも、暖かそうな、花園ななせさんの写真に衣替えした。 ◆◆◆◆◆  第六景は、スロバキアのトルナヴァの蹴球場。日本のサッカーファンは誰も知らないだろうしメディアも取り上げたことがないだろうと思いきや、一昨年湘南ベルマーレがトルコで対戦していたスパルタク・トルナヴァ。下写真は駅売店で購入した新聞とズラティー・バジャント(黄金の雉)のロング缶。この銘柄もハイネケン傘下にあり、近隣国でも度々見かける。紙面にはフォルタナリーグ(スロバキア一部)18節アウェー、ニトラ戦に0-1勝利の詳細。 続く12月9日19節もタトラン・プレソフをホームで撃退(1-0)。2017-18シーズンは、2位のMSKジリナに9ポイントの差をつけて首位を独走しているのだから紙面の扱いも大きくて当然。 ◆◆◆◆◆ そのホームスタジアムは名前のインパクトだけなら欧州トップクラス、シュタディオーン・アントナ・マラティンスケーホ。Malatinskéhoは、マ●チンと発音したほうが正しいのだろうが、モデルさんから苦情が出そうなので英語読みのティンと表記する。 湘南と対戦した数カ月後、2014-15シーズン。ジリナでスパルタク・トルナヴァを見て、こんな写真をUPしている ⇒エネルギー問題とフットボールの方程式  プレス席からフィールドまでの距離が極端に短い。こじんまりとしたスタジアムの魅力が伝わるだろうか。記念にチケットも購入。ななせさんが持っている写真では文字が小さくて判り難いが価格は3ユーロと印字されている。 ◆◆◆◆◆  その後、ブラチスラバへ移動する途中、トルナヴァに立ち寄る。1977年、ローマ教皇がスロバキア大司教区としてハンガリーから独立したこの街には多くの教会、聖堂を見掛けるが地味な趣。政府出資のスタンド改修工事も大詰め、眺めたスタンドは間もなく完成し、2015年8月22日 リニューアル・オープン。 それから一年後、極上のドラマを自宅のPCで目の当たりにする。日本と韓国同様、欧州でも歴史的因縁も深い隣国同士の対決は、異常な盛り上がりをみせる。 ◆◆◆◆◆  日本では子供達が待ちに待った夏休みを迎える頃。欧州では猛暑のなかでの過酷なシーズンの幕開け迎えていた。 UEFAヨーロッパリーグの予選は2回戦まで終了。2016年7月28日の三回戦:1stレグが行われた会場は、1995年アヤックスが欧州の頂点に立った舞台エルンスト・ヘッペル。下写真は先週行ってきたばかり撮りたてほやほやのワンショット。 ◆◆◆◆◆  ハッペルに乗り込んだスパルタク・トルナヴァ。あらためてトルナヴァを説明するとスロバキアでは7番目の人口、その数なんと6万8千人。 170万人を越えるオーストリアの首都クラブとの距離は僅か130キロである。東京から甲府あたりか? この試合は0-1。サッカーでは度々起こるジャイアントキリング。計21本放たれたホームチームのシュートはネットを一度も揺らさなし。対して僅か四本、それも枠内に二本だけのスパルタクのシュートが50%の確率で決まった。後半キックオフ直後に決まったこの虎の子を守るため、トルナヴァは後半だけでも七枚のイエローカードを貰う、荒っぽくも決死の守りでギリギリ凌ぐ。5万人収容のスタジアムに当日僅か6800人程度の観客。その中でかなりの割合を占めたトルナヴァ・サポーターの熱狂と歓喜が目に浮かぶ。

28 11, 2017

ぷら~り 欧州蹴球場百景【4】アレーナ・ガリバルディ – スタディオ・ロメオ・アンコネターニ/ピサ

By | 2017-12-12T21:00:09+00:00 11月 28th, 2017|Categories: Soccerlture League, コラム, ひゃくぷら|0 Comments

 前回、昨秋(10月)と今春(4月)のブダペスト訪問にふれている。二回ともブダペストからフィレンツェに移動するスケジュール。その場合のルート選択は、リスト・フェレンツ空港からピサのガリレオ・ガリレイ空港。その後ピサ中央駅から列車でフィレンツェのサンタマリア・ノベイラ行きに。ピサ国際空港の別称は、科学者であり天文学者であり哲学者であり数学者でもあった偉人の名前を冠している。 大聖堂では揺れるシャンデリアから「振り子の等時性」を、斜塔から球を落として「物体の落下速度は 重量に関係なく一定である」と証明したかどうか定かではないが、ガリレオはピサで生まれ育ったのは間違いない。  ガリレオ空港に降り立つとまず目に飛び込んでくるのはU-BORTの巨大な広告看板。イタロ・フォンタナのブランド腕時計はドイツ軍潜水艦を意味する。 フォンタナの本社はルッカにある。ピサ共和国同様城壁に囲まれた都市国家は、メディチ家との戦闘に負け領有される各国を尻目に自治を守り抜いた。城壁は現在もほぼ完全に残されており、距離にして約30キロ、ピサ中央駅から30分でたどり着く。 ◆◆◆◆◆  第二次大戦中イタリア空軍とドイツ海軍のために設計された幻の戦闘用時計を再現したU-BORTは、視認性や耐久性、防水性能に優れ、高い精度が売り。  「・・・ドゥンガだろ」。一人のフットボーラーの姿が脳裏を過る。ドゥンガが似合いそうとかではなく時計がドゥンガそのもの。昨年までブラジル代表監督を務めた彼の現役時代、視野が広く、精度の高いロングフィードで攻撃を司る一方、絶妙のポジショニングで中盤の防波堤を務め、味方にも怒号を浴びせる鬼軍曹。  ブラジル国民からはつまらないと批判され、シュツットガルトサポーターには絶賛されたプレースタイルからドイツ系移民の血がクローズアップされるが、彼の本名は、ヴェリ。 父親エデルセウ・ヴェリもプロ選手。ミラノで同名のメンズファッションブランドを見掛けたが、彼の故郷リオグランデ・ド・スール州ポルトアレグレは、ドイツ、日本、そしてイタリア系移民が多い港湾都市。そして欧州で最初にプレーしたのが、かつて北ティレニア海に君臨した海運国家、ドゥオーモ広場がユネスコの世界文化遺産に登録されその年だった。  ドイツ人よりドイツらしいプレーをするブラジル人も実はブンデスリーガ、来日する前の2シーズンだけ。盟友・ライバルのジョルジーニョ(元鹿島)はリオ出身だがレバークーゼンとバイエルンで6シーズンを過ごしているのに対してドゥンガはイタリアでの5シーズン、技術とキャリアを磨き共に95年のJリーグ入り。 ◆◆◆◆◆  第五景はピサのアレーナ・ガリバルディ - スタディオ・ロメオ・アンコネターニ。ななせさんが首から下げたプレスカードはACピサ1909-エラス・ベローナ戦。1993年に財政破綻。昨季僅1シーズンで二部から三部に降格したクラブのホームは、幸いと云うべきか、ドゥンガがプレーした当時の面影が色濃く残されていた。2017年5月9日ロンドンからブダペストに移動。数日後ブダペスト市のタバコ屋でイタリアより遅れて発売されるガゼッタを購入する。ユヴェントスのUEFAチャンピオンズリーグ決勝進出が紙面を大きく割く、片隅で同日セリエB(イタリア2部)でジェンナーロ・ガットゥーゾ監督率いるピサの3部リーグ降格が決定した記事を目にした。 ◆◆◆◆◆  ファイルのコピーはアンコネターニでのデビュー戦となった1987年9月13日のACミラン戦。ドゥンガを挟んでいるのはファンバステンとアンチェロッティ。 二部から昇格したクラブは開幕から4連敗の洗礼を浴びる。それでも5節コモ戦でホームドロー、6節アウェーのエンポリ戦で片目が開く。 そして遂にその日がやってきた。11月1日相手は同じく黒と青の縦縞前年3位のインテル・ミラノ。率いるは名将とトラパットーニ。開始7分に先制したホームチームは、後半15分ドゥンガの右足が火を噴く。イタリア代表ワルテル・ゼンガは一歩も動けす。豪快なミドルがネットを揺らしインテルを突き放す。4分後にゴールを奪われるが1点差を守りきってビッククラブから価値ある初勝利。  写真には星条旗とローズボウルの文字。試合も催しも無くローズボウルスタジアムを眺める為に列車でロサンゼルスからパサデナへ。 1994年7月17日、9万4000人を越える観客と世界中のフットボールファンがTVの画面に釘付になったFIFAワールドカップ米国大会決勝。それはドゥンガとロベルト・バッジョ、筆者が愛して止まない二人の長い物語のクライマックスと同時にエピローグだった。

21 11, 2017

ぷら~り 欧州蹴球場百景【3】MSVアレーナ/デュイスブルグ

By | 2017-11-22T02:22:01+00:00 11月 21st, 2017|Categories: Soccerlture League, コラム, ひゃくぷら, ブンデスリーガコラム|Tags: |0 Comments

 前々回(一景)はエル・ガジのパフォーマンスに涙したリールのピエール・スタッド・モロウ。そのエル・ガジを冬の移籍市場で放出しても昨季UEFAヨーロッパリーグで銀メダル獲得、手腕を買われピーター・ボス監督は、ボルシア・ドルトムントへ。 ななせさんが握っているのは今夏の浦和レッズと対戦する為来日した際、羽田空港で配分された来日歓迎うちわ。「可愛いですね」と言われるまで、ハート型の形状に気づかなかった。女の子はカワイイに敏感だがおじさんは疎いと自覚する。 ◆◆◆◆◆  そういえば前回取り上げた2015年5月30日のDFBポカール決勝戦。緑のハートの中にマランダの背番号「19」が白抜きされたデザインの追悼ロゴ。このユニフォームがヴォルフスブルグを戴冠へと導いた。 浦和レッズからヴォルフスブルグに長谷部誠が移籍した2008-09シーズン。アウェーの開幕戦は後半からの途中出場で独デビュー。ホームでの第二節は先発フル出場。2-1の逆転勝利に貢献した。 但し・・・・対戦相手はMSV Duisburg? 胸のエンブレムがシマウマ?(ライオンとかマスコットのチームに勝てないだろ?)・・・何処の州にあるのかさえ知らなかったのが九年前。  ノルドライン・ヴェストフォーレン州の北部、俗に言うルール地域でドルトムントの人口が最も多く58万人、エッセンもほぼ同規模、少し劣るデュイスブルグも50万都市。欧州でも屈指の人口密集地域となる。ドルトムントで58万人なら、足立区や江戸川区と同規模、うっし~人気で知られるようになったシャルケ04のホーム、ゲルゼンキルヒェンは墨田区とほぼ同数・・・東京下町在住者にしか伝わらなくてよい。 2010年の欧州文化首都に選ばれるとルール地域ではかつての工場を文化施設として再生するプロジェクトが始動する。それ以前にも、2002年ルール・トリエンナーレ(芸術祭)がデュイスブルグ、ボーフムやエッセンを中心に開催されていたが、ドルトムントは盛り上がりに欠けていた気がする。 ◆◆◆◆◆  デュイスブルグ市北部のマイデリッヒ地区とハムボルン地区の間にあるテュッセン製鉄所は、廃業後自然とイルミネーション・アートがを楽しめるテーマパークに様変わりした。このLandschaftspark(ランドシャフトパーク)は今やケルン大聖堂と並び、ノルトライン・ヴェストファーレン州を代表する観光の目玉である。街の象徴は1993年に完成したファウンテン・ライフセイバー(上写真)。スイスの巨匠ティンゲリー作、黒い立体に、ニキ・ド・サンファールの色鮮やかな作品が乗った夫婦合作。それにしてもファッション・モデル時代のサンファールは美しい。ななせさんが持っているコピーは1949年LIFE誌の表紙撮影時、当時19歳。 ◆◆◆◆◆  写真は中央駅北西部にある旧市庁舎と教会。欧州の都市で旧市街があれば取りあえず立ち寄るべき。一方南部にあるのが現在の庁舎。その北側200ヘクタールの広大な運動公園。名称はSportSchule・Wedau。初代チェアマンの川淵三郎氏が現役時代、東京五輪前の代表合宿で同市を訪問した際、驚かされた施設環境は今も健在。1977年10月22日。この街の旧スタジアムで行われた1FCケルン戦。奥寺康彦氏が日本人として初めて歴史に足跡を刻んだウェダウ・シュタディオンは、2003年からの大規模な改築でMSVアレーナとして生まれ変わったのが2005年。 ◆◆◆◆◆  今季ブンデス二部へ昇格したMSV。2013年の財政破綻で三部に沈んでいた為、日本人ブンデスリーガ―時代到来にも関わらず、このスタジアムのピッチを踏んだ日本人選手は数少ない。2012-13シーズン、ボーフム在籍時の田坂祐介(現川崎フロンターレ)ぐらいではないだろうか。2012年9月23日第6節、この日田坂は右サイドハーフのスタメン。60分途中交代している。  石原 卓が1.FCザールブリュッケン在籍の2014年3月MSV戦に途中出場しているがホームゲーム。 本年9月29日 MSVアレーナ、ウニオン・ベルリンを迎えての第12節。残念ながら負傷欠場で内田人は遠征メンバーに含まれておらず。ザンクト・パウリ所属の宮市亮右ひざ前十字じん帯を断裂、となると次にこのピッチを踏むのはフォルタナ・デリュセルドルフの宇佐美あたりが有力。インゴルシュタットの関根貴大や渡辺凌磨にもチャンスはあるはず。渡辺凌磨について二年前⇒に書いているだけに期待も膨らむ。 ◆◆◆◆◆

14 11, 2017

ぷら~リ 欧州蹴球場百景【2】シュタディオン・ウィーナー・ノイシュタット

By | 2017-11-15T02:48:58+00:00 11月 14th, 2017|Categories: Soccerlture League, コラム, ひゃくぷら|0 Comments

欧州四大リーグと聞かれて英・西・独・伊の国名は、サッカーファンならば誰でも即答できるはず。しかし欧州四大ビールと言われて、答えられるビール通のサッカーファンは、意外に少ないかもしれない。ミュンヒナー、ドルトムンダーは、2012-13シーズン欧州の頂点を賭けた両雄の街で醸造されたビール。そしてチェコのピルスナー、オーストリアのウィナーが四天王。ピルスナー発祥のピルゼン、かたや褐色のウィナーラガーは、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフから騎士十字章が授与された逸品。 ◆◆◆◆◆ ななせさんが持っている『ゲッサー』は日本でも手軽に手に入るウィナー・ピルスナーの代表格。第二景はウィーンから南に60キロ程下ったウィーナー・ノイシュタット(WN)シュタディオン。その名の通り「ウィーンの新しい街」は第二次大戦時の甚大な爆撃被害からの復興を余儀なくされた。 ◆◆◆◆◆ この連載では蹴球場百景と看板を掲げるからには、毎回一枚はスタジアムの写真を必ずUPする。今回上の写真はかなり気に入っている。ビールのCMにも見えなくもないが。 2015年2月14日、このスタジアムで南野拓実が同国デビューしている。ポジションは左ハーフ。7700人収容のスタジアムに観衆は2100人程度。一方この時点で最下位から浮上することなく降格してしまったWNは、当時ラピド・ウィーン出身のクロアチア人を左ハーフに据えていた。。 2017年11月5日 第14節ウィーンのエルンスト・ハッペルスタディオン アウストリア・ウィーン対SVマッタースブルク。1-1で迎えた後半30分過ぎ、奥川雅也がピッチに投入される。その3分後、右サイド奥川にボールが入ると柔軟なドリブルムーブでマーカーを翻弄、ペナルティエリア内に侵入し左足を振り抜くと、ファーサイドのネットを揺らして見事な勝ち越しゴールが生まれる。その後フリーキックで1点を追加したマッタースブルグがアウェーで掴んだ金星。今季2部のリーフェリングからレンタルされている奥川にとっては記念すべき一部リーグでの初ゴール。翌日は日本国内のメディアも奥川の話題で賑わうかと思いきや、取り上げたのは日経、時事通信とフットボールチャンネル、ゲキサカの四媒体。こんなものかと思ったがオーストリア・ブンデスリーガの注目度からすれば上出来。5万収容のハッペルのシートは一割程度しか埋まっておらず・・・そんなものだ。 第6節アルタッハ戦の動画。前半31分と早い時間帯で投入された奥川。 この試合でアウストリア戦とほぼ同じ位置からシュートを放っているが枠を捉えることができなかった。それでも斬れのあるドリブルは攻撃のアクセントになっているので、観ていただいて損はない。 この動画で29番奥川以外に視覚えのある顔が序盤の円陣に登場した。27番のフロリアン・ジッザム 2016年5月10日エアステリーガ第33節 ウィーン滞在中、WNシュタディオンにリーフェリングがやってくる。南野のデビュー戦は見れなかったが、奥川雅也を見る機会が転がり込んだ幸運。 地下鉄6号線からウィーン・マイドリング駅で乗り換えると30分でWN中央駅に。但しそこからが不安なのでタクシーを利用。帰りの徒歩、ルートを覚えたつもりで挑んだが撃沈、結局1時間以上は歩く羽目に。ウィーン市内の宿に着く頃には日付は変わっていたが、無事辿り着けたので問題なし。下の写真はWN中央駅出発時にシャッターをきった。 ◆◆◆◆◆ 奥川は後半からの出場。ポジションを右から左にかえ、低い位置に下がってボールに触れる回数は幾分増えたが正直この日は見せ場なし。 アルタッハ戦では中盤の左でプレーしているジッザムだが、この日は最終ラインで無失点に貢献。その一ヶ月後の親善試合、ブルガリアU21戦に招集されたジッザムは、1994年12月生まれで奥川より二歳年長。 背番号18がジッザム。奥川は9番。一年前約500人の観客の前で対峙した二人が一部で同僚に。更に上(A代表)を目指すのであれば、マッタースブルグに長く留まるわけにはいかない。 ◆◆◆◆◆ 冒頭で述べたとおり、この新しい街で1952年春スタジアム建設の工事が始まった。80年代に照明が整備されメインスタンドに屋根が設けられた。 スポンサー(パートナー)企業にはプンティガマーが名を連ねる。2003年にオランダのハイネケングループに引き継がれたグラーツ発祥のビール・ブランド。ジッサムはシュタム・グラーツの下部(U18)出身。5歳年下の弟フィリップはグラーツの現在セカンドチーム(四部)でプレーしている。 奥川、ジッザムの他にもう一人、アルタッハの動画には注目すべき人物が映し出されていた。南野と対戦したクロアチア人、クリスティアン・ドブラスがWN時代と同じ30を背負い左サイドでプレーしている。昨季はWMからシュタム グラーツ、今季はアルタッハへ。 ◆◆◆◆◆ アルタッハは本年8月3日UEFAヨーロッパリーグ(EL)予選3回戦で久保裕也所属のヘントを退けている。第2戦80分にピッチへ送り出された久保の目の前でダメ押しゴールを決めたのがドブラスだった。 二部降格後も一昨季は7位、昨季は更に順位を下げてしまったWN。しかし今季は17節終了現在首位と同勝ち点の2位。 隣国ドイツ同様外国人枠は撤廃、但し自国選手の登録数12名が義務づけられるオーストリア。そしてTV放映権の分配金の査定評価に自国の若手選手の起用実績が含まれるシステム。これからもジッザムやドブラスと同じルートを辿るように、音楽とビールの国で芽吹いた若き才能達が経由するであろうこの街の人口はエルンスト・ハッペルの収容人員よりも少ない。【ニ景了】 文/撮影:横澤悦孝 モデル:花園ななせ

7 11, 2017

ぷら~り 欧州蹴球場百景【1】スタッド・ピエール・モロワ/リール

By | 2017-11-14T04:08:41+00:00 11月 7th, 2017|Categories: Soccerlture League, ひゃくぷら, リーグアンコラム|Tags: |0 Comments

サッカルチャー秘書室の新連載名を、「ぷら~り 欧州蹴球場百景」に決めた。本年は日本百景が選定されて90年の節目を迎える。ぷら~り欧州を旅してきた際に撮影した写真をリムーバルディスクの隅から引っ張り出して、回想録をだら~りと綴る。略して『ぶらひゃく』。秘書室のカテゴリーに分類される為、撮影した美人秘書イメージのアイキャッチ画像だけは継続させ、今回、花園ななせさんを起用した。 ◆◆◆◆◆ ちなみに、これまでの日本人秘書は芸能プロダクションからの紹介だったが、彼女は筆者自ら発掘した逸材。編集部内で彼女を、AKBの《コジハル》や《きたりえ》のように略称で呼ぶ意見も出たのだがハナナナ・・・・“鼻の穴”にしか聞こえない。「ななせさん」と普通に名前で落ち着いている。何でも略せばよいわけではない。 ◆◆◆◆◆ ハナと云えば、チューリップを以前掲載した。 ⇒欧州蹴球文化探訪 第三十二の巻 リールで学ぶ。リールに学ぶ。 上の写真は草間彌生氏の作品を反対側から撮影したもの。リール・ユーロップ駅とリール・フランドル駅の中間にある為、パリからTGVに乗ってきてブリュッセルやロンドンへの乗り換える旅行者は必ず目にする。今回紹介する蹴球場はこの街のスタッド・ピエール・モロワ。今週末に日本代表がセレソンに挑む舞台はハリルホッジ監督の御膝元。 機内で移動中はひたすら映画を鑑賞する。昨年世界が泣いた『me before you』事故で脊髄を損傷、四肢麻痺のサム・クラフリンを介護するエミリア・クラーク主演のラブコメディである反面、重度障害者の自殺幇助・安楽死が問題視された。 ◆◆◆◆◆ 昨年三月「⇒サルバドール(救世主)はカタルーニャの地に没する」を寄稿した。肺癌で他界したヨハン・クライフを偲んでシュルリアリズムの巨匠ダリのファストネームとクライフのニックネームをタイトルに織り込んだ。 その時、クライフと共に熱い視線を注いだフィールドには、オランダの未来を担う俊英の姿があった。 その後、⇒長靴の国で観た異邦人たち 十七の巻【チェコ黄金時代再来の予感】で、その当時を回想している。 一昨季バルサ戦で才能の片鱗に触れたドニ―・ファン・デ・ベークとアブドゥラク・ヌウリは11月24日のUEFAヨーロッパリーグ、パナシナイコス戦に共にフル出場・・・下の写真、トップチームでは重い番号(34)を背負った彼も同年代のチームでの背番号は8。 ◆◆◆◆◆ アブドゥラク・ヌウリ選手を襲った悲劇。衝撃に一瞬PCの前で全身が硬直した。一時的に心肺機能が停止した場合、蘇生後脳症(低酸素脳症)で約7割が命を落とすらしい。記憶に新しいところでは7月に 新潟県の高校野球部に所属する女子マネジャーが死亡している。一命を取り留めても脳に障害が残り、昏睡状態、寝たきりの状態になり社会復帰は見込めない。軽度でも認知機能や記憶に障害が発生するのだが、ヘリコプターで病院へ搬送された彼の脳の大部分が機能しておらず、今後も機能することはないと診断が下された。アヤックスの発表によると現在も心拍数と呼吸こそ安定しているものの状態に変化は見られない。

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