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欧州球蹴文化探訪 第十七の巻パルティジャーノンに花束を

 フットボール=英語をセルビアではフドバルスキと発音する。これだけでもいかにフットボ―ル好きの国民なのかわかろうというもの。日本のフドバルスキ好きに贈る第十八巻

首都ベオグラードの双璧

 昨季セルビア・スーペルリーガを制したパルチザン・ベオグラード。第十五の巻で取り上げたレッドスターとは永遠のライバル関係に。赤白の縦縞に対して黒白のウェアに身を包んだサポーターが憎悪をたぎらせ火花を散らす(例えではなく)ダービーは危険度マックス。
 第二次世界大戦時、独裁者ムッソリーニを追放し民衆自らナチスに立ち向かったレジスタンス、彼らパルティジャーノこそ世界各国で用いられるパルチザン名称の本家なので粉チーズは関係ない。

 7月14日チャンピオンズリーグ予選2回戦、ディラゴリ(グルジア)とホームで相対した。スコアレスでサポーターのストレスが充満した82分好位置でフリーキックをもぎ取る。背番号10の振りぬいた足から放たれた鋭い弾道。速く落ちるボールにGKは動けずネットに突き刺さる。

 ステファン・バボビッチ。1987年生まれのレフティがフェイエノールト・ロッテルダムに加入したのは2009-10シーズンの事。当時22歳の若者はフランス、スペインでキャリアと技を磨き、母国の古巣に戻って28歳のシーズンを迎える。初戦の無失点勝利は上出来。アウェーで2-1の敗戦が許される。
 この日カメルーン人ストライカーのアブバカル・ウマルが先発。2009年から13年までセルビアでプレーしており、同国の国籍も取得済。13年からの2シーズンはバースラント・ベーフェンレンに所属、ジュピラープロリーグから今シーズン帰還した。ベーフェンレンはアントワープから列車で20分強、およそ15キロ西側の街だ。こんな小さなスタジアムでもバーがあり、ハーフタイムには地元のフットボール狂がビール片手に口角泡を飛ばす。彼ら脇役が何処の都市でも現地観戦に玄妙な味わいをもたらす。


「ベーンフェーレン」

 そのウマルに変わりピッチに登場したアンドリア・ジブコビッチは、1996年生まれ。今パルチザンで最も注目すべきプレーヤー。同じく途中出場のFWシャポニッジは一歳年下。背番号11を背負うニコラ・ニンコビッチも20歳。
 U-20ワールドカップの優勝から、ワールドカップ2018年ロシア大会、分散開催の2020年ユーロでは、台風の目となる公算が高いセルビア代表。
 それにしても近年のパルチザン・ベオグラードから続々供給される逸材達。2013年アンデルレヒトがクラブ史上最高額で獲得したアレクサンドル・ミトロビッチ。セルビアU-19代表は既にA代表にも召集されていた。ブリュッセルで観たプレーと髭づらの風貌に、資料にある生年は誤植か、ビールを飲みすぎての見誤りか。どちらでもなかった。先日ニューカッスルへの移籍が報じられている。
 当時アンデルレヒトの指揮官は現役そして指導者として骨の髄までアヤックスカラーが刷り込まれたオランダ人のファン・デン・ブロム。才能のある若手を使わないわけがない。

デ・ブルイネの英国復活は、実現するのか

 このコラムで武藤のマインツ移籍を賢明と書いたが、チェルシーは極めて特異なクラブであり常時現各国に30名前後の選手を貸し出しており二の句が継げない。
 かつてこのリストにはデ・ブルイネのような超大物も名を連ねていた。このベルギー代表攻撃のキーマンは、ブレーメンにレンタルされた後、ヴォルフスブルグに完全移籍。ブルーズのウェア姿を観たのは僅かな期間でしかない。デ・ブルイネに関しては、昨年ワールドカップ・ブラジル大会、ブンデスリーガやELの活躍で散々日本国内での活字情報も溢れているが、今回のマンチェスター・シティからのオファーを英国で複数紙が報じている。現クラブは残留を強調しているが、デ・ブルイネ本人も腹の底ではプレミアでチェルシーに借りを返したいはず。
 他にもバイエルン・ミュンヘン、そして大物移籍では必ずといっても言いほど名前を出すパリ・サンジェルマンも虎視眈々と狙っているとの情報も。写真は昨年ワールドカップ前、ゲンクでの公開練習時にシャッターをきった。かつてのゲンクの英雄に熱い視線と声援が贈られた。


[ケビン・デブルイネ]

 デ・ブルイネがゲンクからチェルシーに移籍したのは2012年。当時21歳の彼は前年(2011-12シーズン)欧州デビューを果たしている。
 CL予選三回戦相手はセルビア王者のパルチザン・ベオグラード。
 この試合前半退場者を出して劣勢のゲンク。
 しかし大荒れの試合は、前半終了間際パルチザンの背番号25にも赤札が。ステファン・バボビッチはピッチを後にした。
 この試合は終了間際のゴールでゲンクが勝利。パルチザンのホームでは1-1のドローでゲンクが予選を突破した。バボビッチが出場停止のため、この日のスタメンの選手名と、冒頭の今季CL2回戦を比べても同名を見つけることができない。
 しかし後半残り4分、喉から手が出る程欲しい1点を取りにパルチザンベンチから少年が勢いよくピッチに飛び出した。ニコラ・ニンコビッチも欧州の舞台に登場した2011年の夏。

About the Author:

Yoshitaka Yokozawa
1964年生 / 東京都在住 NPO・NGOの経験を活かしてサッカルチャー・チャアマンをしてます。 本業は国際交流コンサルタント。文化催事の企画運営や講演など欧州と国内をころげまわってます。 サッカルチャーコラム連載では欧州蹴球文化探訪(全41回) 同ベルギーの光と闇(全27回)※最終話そのうちUPします。 長靴の国で観た異邦人たち(全21話) サッカルチャー・ホームタウン秘書室(2017年~ 同 日本人が知らないアーセナル 全8回含)他。 サッカルチャーやっててよかったのはバルセロナで故ヨハン・クライフに逢えたこと。世界各国の”秘書たち”とビールを飲むのもささやかな楽しみ。

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