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ぷら~り 欧州蹴球場百景【67】ウィナーSCプラッツ / ウィーン

1911―12年初のフットボール国内選手権開催、優勝はラピド、ウィナーSCは2位でフィニッシュしている。それから十年を経て、1922年に念願の初優勝。そして1958年、1959 年の連覇でヨーロピアンカップ(現CL)=欧州の舞台への切符を手にした。

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前年ACミランを一蹴したラピドに続けとばかり、ウィナーSCは衝撃的な欧州デビューを飾る。それが前述のユヴェントス戦。

1958年9月24日トリノでの初戦は ユヴェントスが3-1で勝利。しかし10月1日エルンスト・ヘッペルで怒涛のゴールラッシュで勢いづくと2回戦ではチェコのプジブラムを退け、準々決勝で大会を制すレアル・マドリーと対戦。3月4日ホームはスコアレスドロー。3月18日7-1の大敗。

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翌シーズンの1回戦はルーマニアのペトロルル・プロイェシュティ。初戦ホームでスコアレスドロー敵地で1-2で難敵を退ける。2回戦ではデンマークのB 1909を下し、準々決勝はフランクフルトと対戦。このシーズンのフランクフルトは強く合計3-2で勝利すると決勝まで勝ち上がる。それでもレアルの牙城は崩せず、五連覇達成の白い巨人は、(当時は八百長の噂もあったが)今も昔も偉大だった。

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プラッツは1904年に創設され、7,828人の観客が収容できる。しかし↑写真のとおり片側ゴール裏は無人くん。2001年財政難により分離、2017年に再統合されたフットボール部門はレギオナル(三部)リーグ東地区でプレーしている。訪問したのは2015-16シーズン27節。前日の紙面にはオーストリアブンデスリーガ第35節の記事。改修に伴いこのシーズンに限りエルンスト・ヘッペルを使用していたラピドは、SCRアルタッハと対戦しドロー。この日飲んでいたカイザーも54景に登場したヴィーゼルブルクの街で醸造されている銘柄。


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かつての名門は、多くの名選手名指導者を輩出しているなか、この二人は別格。

試合後の記者会見、向かって左端緑のジャージは、ゾーラン・バリシッチ監督。1989年ウィナーSCでプロデビューを果たした2シーズンを過ごすと、ファボリテナーを経てラピドに加入。1996年5月のUEFAカップウィナーズカップ決勝のパリ・サンジェルマン戦にも後半開始からピッチに立ち、中盤の舵を取った。1997年から2002年にインスブルッグでプレーして国内3連覇に貢献。


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代表デビューは1999年6月6日、ユーロ2000予選のイスラエル戦。現在はオリンピア・リュブリヤナ(スロべニア)の監督を務める。

今季チャンピオンズリーグ(CL)予選2回戦で、PAOKに敗れ、CL本戦出場を逃したFCバーゼルは、オーストリア代表を昨年まで指揮したマルセル・コラーとトーマス・ヤネスチッツを迎え入れた。
昨年6 月11日 ワールドカップ予選の第 6 戦がダブリンの AVIVA スタジアム。試合を撮影した際にピッチサイドで見掛けた二人。コラーはスイス人だが、現役時代ストライカーとしてオーストリア代表にも召集されたヤネスチッツはウィーン出身。1985年にウィナーSCでデビューを果たし、一度クラブを離れたが93年までの5年間在籍した。

By | 2018-11-06T09:37:04+00:00 11月 4th, 2018|Categories: Soccerlture League, コラム, ひゃくぷら|0 Comments

About the Author:

Yoshitaka Yokozawa
1964年生 / 東京都在住 NPO・NGOの経験を活かしてサッカルチャー・チャアマンをしてます。 本業は国際交流コンサルタント。文化催事の企画運営や講演など欧州と国内をころげまわってます。 サッカルチャーコラム連載では欧州蹴球文化探訪(全41回) 同ベルギーの光と闇(全27回)※最終話そのうちUPします。 長靴の国で観た異邦人たち(全21話) サッカルチャー・ホームタウン秘書室(2017年~ 同 日本人が知らないアーセナル 全8回含)他。 サッカルチャーやっててよかったのはバルセロナで故ヨハン・クライフに逢えたこと。世界各国の”秘書たち”とビールを飲むのもささやかな楽しみ。

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