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ジャン・ピエール・パパン 〜将軍プラティニが絶大なる信頼を寄せたジャンピングストライカー⭐️サクサク動画コラボ記事⭐️

 1986年W杯メキシコ大会。将軍プラティニ擁するフランス代表は22歳の若きストライカー、ジャン・ピエール・パパンのゴールで初戦白星を飾る。本命カナリア色をも消し去る進撃は、ドイツの厚い壁に阻まれて三位決定戦に。フランスとベルギーの隣国対決は、歴史に残る名勝負となった。プラティニを欠き前半10分先制点を許す。しかし26分に追いつくと前半残り3分、決勝トーナメント三試合でベンチを温めてきたパパンの右足が流れを手繰り寄せる。後半はベルギーも粘りを見せ延長戦へと突入、最後は欧州王者(84年優勝)の意地をみせたフランスが三位を射止めた。

* 動画は最下部にあります ↓↓↓

 88年のユーロ、90年W杯とまさかの連続予選敗退。プラティニ時代の終焉と同時に氷河期へと足を踏み入れたレ・ブルーが新たな一歩を踏み出す。26歳のパパンはキャリアのピークを迎えプラティニが指揮を執る代表チームに不可欠なエースとして君臨。

 映像は91年ポーランド戦のゴールを皮切りに89年マルメでのスウェーデン代表から奪った2得点。1990年2月のドイツ戦へと続く。前月西ドイツに3-0の完敗を喫したフランスだが、パパンのゴールで統合されたドイツ代表相手に借りを返しユーロ予選へと挑む。

 8試合中6試合にフル出場して9得点。映像後半のチェコスロバキア戦とスペイン戦ゴールは真骨頂。特筆されるべきは出場した全試合でゴールを決めて本大会に母国を導いた功績である。

 翌年の欧州連合発足に向け条約が調印された92年。ベルギー戦の強化試合に続き連覇を狙うオランダとの調整試合でもゴールを奪ったパパンは好調をキープして本選に臨む。但し当時のユーロは少数精鋭主義。同組の顔触れは宿敵イングランド、開催国スウェーデンと隣国デンマークには地(ホーム)の利がある。苦戦は必至。予想通り初戦のスウェーデン戦は、パパンのゴールで辛うじて1-1ドロー。続くイングランド戦は双方慎重になりスコアレス。そして総てのチームが可能性を残す状況で、ダニッシュダイナマイトとマルメにて雌雄を決す。開催国第二の都市はデンマーク国境とは目と鼻の距離。デンマーク1点リード、完全アウェーの重圧をパパンのゴールで振り払ったのは後半15分。試合を振り出しに戻した。パパンとこの街の相性は悪くない。

 するとニールセン監督は勝負を賭けて手札を連続で切る。采配は的中しラインを跨いでから7分後に背番号10エルストルップのゴールが決まり、最下位から決勝トーナメントへの扉を開いた。その後もデンマークの勢いは衰えず蘭独の強豪国を連破、アンリ・ドロネー杯まで手が届く大波乱が起こり、器は小さいながらも熱狂の宴は成功にて幕を閉じた。

 92年11月W杯予選フィンランド戦に続き、94年12月ユーロ予選のアゼルバイジャン戦、劣悪なピッチで決めた代表でのファイナルゴールの映像。

 クラブチームに比べ代表では輝かしい結果を残せなかったパパン。アクロバティック&ダイナミックなボレーシュート、ヘディングも含め長いボールにタイミングをあわせる感覚に秀で、難易度の高い芸術的なゴールはフランス国民を魅了した。マルセイユやミランならば、フリーキックや巧みなドリブルでDFをかわした映像も選ぶだろうが、協会公式の「代表」限定。映し出される対戦相手は前述の欧州列強国を代表するプレーヤー達であることを踏まえてユニフォームのカラーにも注目しながら、《記録よりも記憶に残る》フレンチストライカーの13ゴールを堪能していただきたい。

About the Author:

Yoshitaka Yokozawa
1964年生 / 東京都在住 NPO・NGOの経験を活かしてサッカルチャー・チャアマンをしてます。 本業は国際交流コンサルタント。文化催事の企画運営や講演など欧州と国内をころげまわってます。 サッカルチャーコラム連載では欧州蹴球文化探訪(全41回) 同ベルギーの光と闇(全27回)※最終話そのうちUPします。 長靴の国で観た異邦人たち(全21話) サッカルチャー・ホームタウン秘書室(2017年~ 同 日本人が知らないアーセナル 全8回含)他。 サッカルチャーやっててよかったのはバルセロナで故ヨハン・クライフに逢えたこと。世界各国の”秘書たち”とビールを飲むのもささやかな楽しみ。

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