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「王者」サンフレッチェ広島の歴史〜曲がり角に現れた”絶対エース”と”広島サッカーの父”

 2006年シーズンはその斬新な攻撃サッカーが相手の意表を突き、開幕10試合未勝利というスタートからは想像出来ない程、夏場以降は連勝街道に乗った。最終順位はリーグ10位で、J2との入れ替え戦圏内の16位・アビスパ福岡との勝点差は18ポイントもの差が出来る余裕すらあった。そして、2007年シーズンは優勝争いも可能になるのではないか?とさえ思えた。ただ、この段階では“広島サッカーの父”と呼ばれるに至る、現在のペトロヴィッチ監督やサンフレッチェの代名詞=<3-4-2-1>の可変型フォーメーションは採用されていない。

 ちなみに、2006年シーズンのサンフレッチェはリーグ戦全34試合で50ゴールを挙げたが、その7割近くを2トップの佐藤(18ゴール)とウェズレイ(16ゴール)が記録していた。逆にトップ下に入る柏木や森崎浩司の得点が少な過ぎた。そして、その攻撃のほとんどが日本代表として定着していた右WB駒野のクロスから生まれていた。完全にフィニッシュのパターンが偏っていたのだ。

 それを他クラブに研究されて対策を打たれた2007年シーズン。サンフレッチェは再び奈落の底に叩き落されるほどの屈辱を味わうシーズンを迎える。

(続く)